ものを書くときは、反対意見も勉強しておかないといけませんね。
そうしないと恥ずかしい思いをしちゃいます。
しかし、gogoxtuchiさん、素晴らしい!!
なんか、キリスト教の方が「団体には加入したくないが信仰はしたいということもある」という話をされていて、あぁ、現代はそういうこともたくさんありそうだなぁと思いました。
立場としては、ちょっとだけニュートラルな部分を残しておきたい、とか。
なんか良く分かります。
そういえば先日、学会員さんのお家に来て1時間お題目をあげたり、導師したりしてるけどまだ会員にはなりたくない、っていう方にお会いしました。
もうほとんど学会員だなぁ、と思いましたが、気持ちは分からんでもないなぁと。
で、そういえばキリスト教では洗礼は受けてないけどミサに行く、みたいなのは比較的自由っぽい感じがして、そういうのって創価学会にはないのかなぁと思ったら、ありました。
「会友」ってやつ。
そういえばそんなのもありましたねぇ。
なんか奥さんが信心されていて、そのご家族が未入会なんだけど、理解はしてくれていて「会友」です、みたいな話はよく聞く気がします。
でも実はこれ、創価学会のことは理解してて、何なら題目とかもあげちゃうけど、まだご本尊は頂きたくない、ちょっとまだニュートラルでいたい、って人にピッタリなんじゃないでしょうか。
しばらくそれで活動してみて、踏ん切りがついたら入会してご本尊を家にご安置する、みたいなスタイル、僕はありなんじゃないかなぁと思います。
そういうスタイルが将来的には一般的になるかも、と密かに思っています。
折伏も、いきなり入会させようとするんじゃなくて、そういう風に持っていく方がうまくいくことだってあるんじゃないでしょうか。
僕は最近折伏できてないんでエラそうなこと言えないんですけど。
(今度職場の部下に贈呈で新聞とってもらおうと思っていますが...。)
絶体絶命の悩みを抱えてる人なら、頑張って入会してもらった方がいいような気がしますが、「学会のやっていることや信仰には共感できるけど、まだそんな悩みとかないし」っていう人だったらとりあえず会友になってみて、ってイマドキの感覚からしたら自然な気がします。
だめかなぁ。
えぇっと、これはちょっと過激な発言になっちゃうかもしれないんですが、学会幹部(とりあえず支部長以上とか、創価大学出身の幹部とか、創価大学の学生部幹部とか)ってSGI提言、ちゃんと身で読んでるんですかね。
戸田先生時代(当時は世の中全体が過激だったので、当然学会もちょっと過激だったみたい)の名残を引きずらずに、池田先生の志向する創価学会・SGIのあり方について行けてますかね。
「難しいから分かんねぇや」みたいな甘えとか、本当に唾棄すべきなんですけど、そんなの微塵も持ってないって言えますかね。
つまり、「先生、先生」って口だけで言ってるだけで、先生の求めているものが分からなくなっていやしませんかね。
分かんなくても、「分かろう」としてますかね。
分かんないことがあったら、分かりそうな青年部や学生部と研鑽したりしてますかね。
こういうこと書くと、「SGI提言がちょっと分かった気になってる鼻持ちならないインテリ」とか思う人もいるかもしれませんけどね。
池田先生も不死ではないので、いつか後継の世代が創価学会・SGIを引っ張っていかなくてはならなくなりますが、その時、池田先生の志向しているものが分からない(分かろうとしない)人間がリーダーではまずいと思うんです。
それは「創価学会・SGIの使命」が分からなくなるということだからです。
そうなったら後継の人材は育てられませんし、創価学会が衰退してしまい、広宣流布など夢のまた夢になってしまいます。
池田先生がお金で勲章や名誉教授称号を買ってるとか書いちゃってる方、ネット上で結構見かけますね。
ソースがないから必ず匿名ですけど。
あれ、絶対「池田先生だけを攻撃している」つもりで書いてると思うんですけど、実は授与した団体(国)のことも「お前らは金で称号を売り渡した恥知らずな団体(国)だ!」って高らかに批判してるってこと、気づいてますかね。
ソースもないのにそんなこと書いてるって、ものすごく恥ずかしいことだと思うんですけど。
ぜひ、ここに書かれている国の大使館あたりに電話かけて、「なんでお金で国家勲章を池田大作氏にあげたんですか?」って聞いて、その結果をネット上で公開して欲しいもんです。
金で売ったという確証があるならそれくらいできるでしょう。
できないんなら二度と書かないことをお勧めします。
恥ずかしいです。ホント。
あぁ、しょっちゅう人権侵害で訴えられて負けてるような低俗週刊誌とかでそういうことをほのめかす記事が書かれてたりしますけど、よーく読んでください。
絶対断定してません。
だって授与した団体から強烈なクレーム来ますもんね。
相手が悪かったら廃刊になっちゃうリスクだってあるかも?
そんで、国家勲章のことは書かないですよね。
相手が悪いって分かってるんでしょう。
都合が悪いから、受章していることすら記事にしない。
つくづく卑劣な売文屋です。
あの方々、うまーく逃げてますから、乗せられないようにした方がいいですよ。
身のためです。
池田先生はいつも平易な文章でご指導してくださいますが、SGI提言だけは別格。
長文でもありますし、文章もアカデミックでスラスラ読めず、僕なんかは額に汗しながら、しかしその卓越性に驚きながら、創価学会・SGIの使命の深さに身を引き締めながら毎年読んでいます。
今年の提言のうち、安全保障の面で特になるほどと思ったのは、
「ある集団の中に排他的で暴力的な志向を強める人々がいたとしても、集団全体を敵視することは憎悪の連鎖を招くだけ」
「防災や減災を含むレジリエンス強化のための交流を進め、「友好と信頼の絆」を堅固にしていく。(中略)「平和的共存」という面を地域全体に浮かび上がらせていくーー」
「日中韓の首脳会談を」というくだりですね。
今、日中、日韓の間を引き裂こうとする動きが大きくなってきていますが、感情論に流されそうになるなか、提言を読んで「あぁ、そうだよな」とやっと落ち着くことができました。
たしかに勝負事で日中、日韓はいつも変にヒートアップしてしまいがちですが、もし、災害時を想定した訓練でお互いの国に出張っていって、どれだけ効率的に多くその国の人々を救えるか、みたいな勝負だったらいがみ合いはないかもしれないなぁとか想いを馳せてしまいました。
負けても「くっそ、さすがお前らんとこは凄いな、次は負けねーぞ」ってなったら、くっさい青春ドラマみたいなのに泣ける。
そしていつも思うのが、池田先生は「SGI提言」でこそ、日蓮仏法の精神をどう現代に即して展開していくのか、ということを明快に示されている、ということ。
ともすると日蓮仏法は排他的ととられてしまうことも多いですし、実際社会不安をあおって排他的な活動をしているカルト信仰団体もあるわけですが、当然ながら日蓮大聖人自身が他者を貶めようとする精神の持ち主だったわけではなく、一筋に「四表の静謐」(今風に言えば世界の平和)を志向しておられたわけです。
その精神をどう現代に展開するかは、ひとえに現代の信仰者・実践者にかかっているわけですが、池田先生は「SGI提言」でその方向性を明快に示され、仏法者として生きる指標を与えてくださっています。
本当に不世出の、これ以上ない師匠だと思っています。
考えるだけでなく、実際に国連NGOとして動き、学校を作って多くの俊英を育てていらっしゃる人など、他にいるでしょうか。
「創価学会はカルトだ!(ソースはネット)」とか本気で書いている方々を掲示板等でお見かけしますが、そのネットでSGI提言が簡単に手に入るわけで、ぜひこちらもどうぞお読みいただきたい、と切に思います。
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