2011年9月アーカイブ

 私が創価中学・高校に通っているとき、しょっちゅう言われたことであり、校歌にも歌われていたことがあります。
それが、「何のため」というフレーズです。
勉強するのも、情熱を燃やすのも、すべて一流の人材になって、社会に貢献するためである、と教わりました。
池田先生も学校にいらして、何度もそうスピーチしておられました。
僕が池田先生の口から信心の話を聞いたのは、覚えている限り、創価大学で「大変だったら勤行はいいから、しっかりお題目をあげなさい」とおっしゃっていた時のみと思います。
(それも、スピーチが終わった後、懇談的にお話をされているときでした。)
広宣流布(広く学会の信仰を教え広めること)が目的だとは一度も言われたことがありません。
学校に仏間はありましたが、ごくたまに使用されるだけで、キリスト教系の学校のように「祈りの時間」などは一切ありませんでした。
そのかわり、なぜ勉学に励み、本を読むのか、を思索させられたのです。

 池田先生は常に「広く、たくさんの本を読みなさい。読むなら一流の本を読みなさい。勉強しなさい。」といつも言っておられました。
そしてスピーチの中で紹介される本は、いわゆる海外の古典文学ばかりでした。
日蓮大聖人の御書はおろか、仏教徒の書いた本すらなかったように思います。
そして、ナポレオンやベートーベン、ソクラテス、プラトン、チャップリン、アベベなどの生涯を通して、いかに人生を豊かに生きるか、というお話をされていました。
「勉強するな」と言って、自分に都合のいい人間を作ろうとした独裁者とはまったく違います。

 創価学会員さんのなかにも、学園(創価中学・高校)を「学会のことすべてを是認するイエスマン、ロボットを量産する工場」かなにかと勘違いされている方がいらっしゃって辟易したりしますが、学園は学会という組織のためにあるのではありません。
建学の精神から言っても、学園は学会のためではなく、社会のためにあります。
もっと言えば、学会自体も、社会のためにあるのだと思います。
私の学園時代の友人の一人は、かつて公明党が自衛隊の海外派遣を支持した時、デモをしました。
私はその友人を誇りに思います。
自分の頭で考え、自分で行動したからです。
いろいろな考えの人間がいて、その考え方が尊重されるということこそ、その組織が健全であることの証左です。
「根本の信仰」が同一である限り、それは、「団結」と相反するどころか、本来「団結」の必須条件のはずです。
自分(もしくは組織の大多数)と違う考え方の人間を排除するような組織は硬直化し、すぐに崩壊します。
そのことをゆめゆめ忘れてはいけないと思います。

このブログの目的

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はじめまして。
私は忙しさにかまけてあまり活動できていない創価学会員(創価中学・高校出身)です。

 ネットを見ていますと、いろいろなところで創価学会に対する意見を見ることができます。
批判的なものも少なくありません。
しかし一方で、聖教新聞(創価学会の機関紙)や池田大作先生の著作を読みますと、「なるほど、もう一回がんばっていい人生にしていこう、社会に貢献しよう!(必ずしも他の人に信心してもらおうということに限らない)」と決意できます。
ご本尊に向かって題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば、すがすがしい気持ちになって、大変気合が入ります。
私など、5分か10分題目を上げるだけで、直後に「よっしゃぁ! やったるで!(繰り返しになりますが、必ずしも折伏(他の人に信心を勧めること)を頑張るということではなく、人生をがんばって生きていくぞ、という意味です)」となります。
ただ大きな声で歌を歌うのとは根本的に何かが違います。


 創価学会に批判的な意見をお持ちの方々は、身近な学会員のせいでイヤな気持ちにさせられたことがあるか、そういう話を聞いたことがある、という方々かと思います。
そういう方々にとって、池田先生が数々の学術称号を授与され、世界中で顕彰されていることが理解不能なのではないかと思います。
そこで、いきおい、「学術称号を金で買っている」などという週刊誌の俗っぽい記事(よく読むとそうほのめかしているだけで根拠は一切ない。断定もしていない)を信じてしまうことになるわけです。


 池田先生は日ごろから、「学会員は常識豊かでなくてはいけない」とおっしゃっており、非常識な行動は慎まなければいけないというメッセージを出されています。
それを、受け取らずに暴走してしまう人がいるのも事実です。
本来は、学会の幹部の人がそういう暴走を止めなくてはいけないはずなのですが、本人は純粋な気持ちでやってたりするので止めづらいのかもしれません。
でも、暴走は止めなくてはいけないと思います。
そうしないと、結果的に学会の信仰や池田先生が誤解されてしまうからです。
あえて学会員的な言い回しでいえば、「法をさげる」ことになってしまうと思うのです。


 池田先生は以前から、ご自身が師匠である戸田先生に「今の学会は嫌いだ」といったことがあり、戸田先生に「ならば自分の好きな学会に変えなさい」と言われた、というお話を何度もされています。
それを「すばらしい、今の学会があるのは池田先生のおかげだ」と聞いているのでは、弟子として不十分と私は思います。
池田先生の意図は、「今の学会は(組織である以上、常に)不完全。若い世代のあなたたちが、至らない部分は修正していきなさい」ということではないかと私は思うのです。


 正直に申し上げて、私はバリバリの学会員というわけではありません。
学会活動に関しては、休眠状態に近いと申し上げて過言ではないと思います。
そして、ハンドルネームでこんなことを書いている時点でビビリです。ヘタレです。
でも、こんなことを考えている学会員もいるんだな、というのを知っていただくだけでも、意味があると思うのです。
それがこのブログの目的です。


 非定期で更新していきます。
よろしくお願いいたします。

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