入会しないで信仰する方法

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 なんか、キリスト教の方が「団体には加入したくないが信仰はしたいということもある」という話をされていて、あぁ、現代はそういうこともたくさんありそうだなぁと思いました。
立場としては、ちょっとだけニュートラルな部分を残しておきたい、とか。
なんか良く分かります。
そういえば先日、学会員さんのお家に来て1時間お題目をあげたり、導師したりしてるけどまだ会員にはなりたくない、っていう方にお会いしました。
もうほとんど学会員だなぁ、と思いましたが、気持ちは分からんでもないなぁと。

 で、そういえばキリスト教では洗礼は受けてないけどミサに行く、みたいなのは比較的自由っぽい感じがして、そういうのって創価学会にはないのかなぁと思ったら、ありました。
「会友」ってやつ。
そういえばそんなのもありましたねぇ。
なんか奥さんが信心されていて、そのご家族が未入会なんだけど、理解はしてくれていて「会友」です、みたいな話はよく聞く気がします。

 でも実はこれ、創価学会のことは理解してて、何なら題目とかもあげちゃうけど、まだご本尊は頂きたくない、ちょっとまだニュートラルでいたい、って人にピッタリなんじゃないでしょうか。
しばらくそれで活動してみて、踏ん切りがついたら入会してご本尊を家にご安置する、みたいなスタイル、僕はありなんじゃないかなぁと思います。
そういうスタイルが将来的には一般的になるかも、と密かに思っています。
折伏も、いきなり入会させようとするんじゃなくて、そういう風に持っていく方がうまくいくことだってあるんじゃないでしょうか。
僕は最近折伏できてないんでエラそうなこと言えないんですけど。
(今度職場の部下に贈呈で新聞とってもらおうと思っていますが...。)
絶体絶命の悩みを抱えてる人なら、頑張って入会してもらった方がいいような気がしますが、「学会のやっていることや信仰には共感できるけど、まだそんな悩みとかないし」っていう人だったらとりあえず会友になってみて、ってイマドキの感覚からしたら自然な気がします。
だめかなぁ。

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このページは、彩雲が2014年2月18日 01:45に書いたブログ記事です。

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