ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの上映会に行ってきました

 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの11~13話の上映会に行ってきました。
これからここに書くことは、当然ながら創価学会のオフィシャルの見解でもなければ、池田先生のご指導でもありません。
ただの個人的な意見ですし、学会の会合でこんな話をしても「何言ってんだろう」って思われるに違いない、理解できなくてバカにしちゃう人もいるかもしれない、でも一部の人は寄り添ってくれるだろう、そして「仏法ならこういう解釈も可能なんじゃないか」、そんな話です。
 
 「一念三千」という法理があります。
(詳しくはこちらをご覧ください)
本来は非常に難解な概念で、私自身もとても理解したとは言えないのですが、上のサイトの解説を借れば、
 
・私たちの一瞬一瞬の生命に、この全宇宙がおさまる
・自身の一念は、三千の諸法に“あまねく、広くいきわたる”
→要するに、瞬間瞬間の我が生命に“無限の可能性”が秘められている
 
ということです。
「空」、または「縁起」ということもできるかと思います。
 
 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンの第13話で、少佐の母が「あの子は心の中で生きている」と言っていました。
私は「一念三千」という観点から、それを観念でもなく、慰めでもなく、ほとんど事実に出来ると思っています。
私は親友をうつ病で亡くしました。(彼が病気だったと知ったのは、亡くなった後でした)
本当に悔しくて、何日間か泣きました。
でも今は、生死に執着してはいけない、彼は自分の心の中に、その行動の中に生きている、またそうしていく責務がある、と思っています。
 
 同じようにアニメ作品そのものも、ヴァイオレットも、少佐も生きていると思うんです。
自分が彼女たちに薫発され、身近な一人一人の(そしてその先に世界の民衆の)幸せのために奔走し、生きて生きて、そして死んでいく中に彼女たちの生きた証ができ、彼女たちが生きたことにも、自分が生きたことにもなるのだろう、そう思っています。
 
 白状すれば、私は医師です。
医師という職業は、自分の至らなさで人が死んでいく職業です。
私も、自分の未熟さのせいで、自分の患者さんを傷つけたり、早く死なせてしまったりしました。
それがいやで、自分なりに頑張って研鑽し、努力もしていますが、それでも当然ながら世界最高の医療を提供することも、ミスを完全になくすこともできません。
逃げたい気持ちもあります。
それでも、私を頼ってくれる患者さんもいます。
 
 第9話の、社長の
「してきた事は消せない。
でも、キミが自動手記人形としてやってきた事も、消えないんだよ」
という言葉を抱きしめて、明日からまた頑張りたいと思います。
親友や、自分を支えてくれる多くの作品やキャラクターとともに生き、その生きた証を残すために。

新潮社の差別的な記事

会見場を凍らせた「村田諒太」次戦相手 “創価学会愛”語り出す
村田選手の対戦相手、ブランダムラ選手についての「週刊新潮」2018年2月8日号 掲載記事。

しかしブランダムラは、

〈私は仏教に帰依しておりまして……〉

 ほう、そう来たか――とライターが膝を打った瞬間、

〈創価学会の池田大作氏が日本人であること、ここに故郷があるということで……〉

 と“学会愛”を語り出したのだ。「記者一同ドン引き。隣にいた村田は苦笑いしてました」(先のライター)

 気まずい雰囲気のまま会見は終了。なお、この発言を記事にした社は無かった。

この文章を読んで、何とも思わなかったらご自身の人権意識に注意した方がいいと思います。
相当危ないです。
その感覚では、いつ炎上問題を起こしても不思議はありません。
 
この記事の問題点は、
「『仏教』信者はOK」
「創価学会員はバカにしても差別しても問題なし」
という姿勢をかなり明確に打ち出していること。
「宗教による差別」を、堂々と公の場でしてのけているということに驚きを覚えます。

お店のオーナーの方々へ

零細企業の経営者として一言。
週刊新潮、時々お店の待合などで見かけます。
でも、こんな人権侵害雑誌を置いていたら、
「ここはこういう程度の意識のお店なんだな」
と判断されてしまいます。
それって結構な「経営リスク」ですよ。

自己肯定感と折伏

自己肯定感とは

最近「自己肯定感」という単語をよく見かけるようになりました。
「自己肯定感」は、「自分は大切な存在である」という感覚。
これが低いと自信のなさ、傷つきやすさ、学習や労働に対する意欲の減退、生きづらさなどにつながってしまいます。

「無明」とは

「『無明』とは、万人に仏性が具わることへの無知であり、不信です。」(「御書の世界3」より抜粋)
「万人」には当然「自分自身」も含まれます。
「自己肯定感」が低い人は、「自分にも『仏性』がある」と信じられないことも多いだろうと思います。

自己肯定感の一般的な上げ方

自己肯定感、持っていますか? あなたの世界をガラリと変える、たったひとつの方法 水島広子 著」等を読むと、
 
1. いろいろな人をよく観察して、
2. 「頑張っていない人など一人もいない」ということをよく理解して、
3. 「それならば自分も頑張っているに違いない」と類推していくことで、自分を認め、肯定していく感覚を養うという訓練法が書かれています。
 
なかなか大変ですし、時間もかかるだろうと想像しますが、水島先生が専門にされている「対人関係療法」は世界中で実践されているエビデンスのある治療ですので、効果は多くの方であるのだろうと思います。

折伏と自己肯定感

「万人に仏性がある」と信じ抜けない「無明」と戦って折伏相手を尊敬し抜き、人間として成長していく・強くなっていくのが折伏であり、この信仰です。
万人の仏性を信じ、尊敬する戦いは「自分にも仏性がある」と信じられるようになることに直結します。
当然、自己肯定感は大幅に上がるだろうなと思いました。
 
さらに自分の苦しみの肯定的な意味(この苦しみを乗り越えて、同じ苦しみを持つ人の希望になるという誓願)を持つことができれば、受け身の人生から能動の人生に大きく変革ができ、生きづらさはかなりの部分減らすことができるだろうなと思います。
その先に「生きているだけで楽しい」という「衆生所遊楽」の境涯も開けるのでしょう。
 
人生の意味・目的までカバーしているからこそ、この仏法は悩める人を力強く助けることができるのだろうと思います。
また「仏法」という軸があれば、対人関係療法などのツールも正しく、より効果的に利用できるに違いありません。
 
この仏法の信仰によって、自己肯定感は大きく育むことができる、そう思いました。

「心の財」について

「心の財」の定義

「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」という御書(日蓮大聖人の書かれたお手紙などをまとめた本)の一節は、創価学会員ならみんな知ってると思います。
簡単に言うと、「財産よりも健康が大事。それより大事なのが『心の財』」という意味です。
 
ところが、「心の財とは」って話があんまり出てこないんですよね。
僕は
 
・超お金持ちなのに文句ばっかりで生きるのがつらそうな方
・無名だけど楽しそうに生きてる学会員のおじいさん
 
に代表される方々を比較した結果、きっと「生きる意味」ってことなんだろうと思ってたんですが、「御書の世界―人間主義の宗教を語る (第3巻) 」で池田先生が「私たちで言えば、広宣流布のための誓願を持つこと」と明確におっしゃっていました。

「私たちで言えば」の意味

「私たちで言えば」という言葉が大事ですね。
「他の宗教を信仰している方々にも、『心の財』はある」と言外におっしゃっているわけです。
その文の直前にはこうあります。
「『蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり』(一一七三ページ)との仰せは、重要な哲学であり、第一級の価値論として二十一世紀に再評価されていくことは間違いない」
つまり、すべての人に敷衍できる、普遍的な価値観であるとされているんです。
独善主義では決してない。
「他の宗教は『心の財』を積めない」などと鼻で笑うようなことが仮にあるとすれば、それは明らかに池田先生のご指導に反していると断言できます。

それでも折伏する理由

「法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり」(一一七四ページ)とある通り、折伏は不軽菩薩のごとく、相手を心から尊敬していく行為。
相手が信仰しているものをバカにしたり、貶したりする態度とは、対極にあります。
 
ただ、相手を思うからこそ、相手の「心の財」に最大限の尊敬をしつつも、その上で慈悲の心で正しいものを正しいと言い切っていく。
他の宗教でも「心の財」が積めるけれども、
 
・「広宣流布のための誓願を持つこと」以上の「心の財」はない
・広宣流布の「心の財」を積んだ人は、最高の無上道の人生を歩むことができる
 
との確信で、語り切っていく。
その中に自他ともの幸福があり、人間としての成長もある。
だから折伏するんですよね。

なぜ「誓願を持つこと」が「財」なのか

では、なぜ「広宣流布のための誓願を持つこと」が無上の「財」なのでしょうか。
いろいろな側面があると思いますが、僕の理解では、
 
・自分の人生を「広宣流布(万人の仏性を信じ尊敬するという思想を広げることで世界の平和を実現する)」という大目的のために使うと定めることで正しく生きることができる(人間としてものすごい成長する)
・その誓願を持った上で祈ると本当に祈りがバンバン叶って自分の人生を自由自在に生きられる
 
からだと思っています。
他にもいろいろな視点があるのかもしれませんが、今はそんな理解です。

「現世利益」批判について

現世の利益を重視するのは低い教え?

まず、「現世の利益を重視するのは低い教えだ」という批判について。
個人的には、現実に今この瞬間苦しんでいることについて、何の手も差し伸べない宗教に、どれだけの価値があるのか疑問です。
「この世の運命は変えられない」「死んだ後良くなるはずだ」としか教えない宗教は、諦観に直結し、簡単に人を無気力にしてしまいます。
そのような「人を弱くしてしまう宗教」は、社会にとっても、その人個人にとっても害悪になりかねません。

現世利益を強調するのは新興宗教だけ?

「現世利益」=「新興宗教」みたいなレッテルを貼りたがる人もいらっしゃいますが、合格祈願やら恋愛成就やら、神社なんてそういうお守り山ほど売ってるわけです。
既存仏教の寺院も、この仏像はこういうご利益があって、こっちはこうで、とか細かく分けていたりします。
神主さんも、お坊さんも、皆さん食べていくために必死に営業努力をされています。
月刊住職を読んでみてください。
涙ぐましい努力が垣間見られます。
 
ちなみに、創価学会員は自分たちを「新興宗教」と言われると相当違和感を覚えます。
日蓮大聖人の御書根本という誇りを持っているからです。

創価学会の現世利益は他力本願?

ここが神社などの現世利益と創価学会の現世利益(功徳)の考え方の一番の違うポイントです。
 
・「お守りを買う・祈ることでなにかがうまくいく」「誰かに救ってもらえる」と考えるのは「他力本願」です。
 
・「祈り、行動する中で、現実と格闘し、それを超克していく」と考えるのは「他力本願」ではありません。
 
学会は明らかに後者です。
前者のように考えて、何も行動しない学会員さんも中には当然いらっしゃいますが、学会は「自行化他」が根本。
ただ祈るだけでは何も解決しない、というのは創価学会の中では常識です。
また、現実の問題と苦闘することも、「この問題を解決することで仏法の正しさを証明してみせる」という化他行ですので、それを放棄するのは学会の中では絶対に「正しい信仰の在り方」とは考えられません。
祈り、行動する中で、自身の中の良い生命を湧現させ、闘って勝ち、自身の成長(成仏、人間革命)を目指す、それが学会の信仰です。
「他力本願」とは対極にあると考えていただいて間違いないと思います。

創価学会は現世利益だけを追求している?

そう見えてしまう学会員さんもいらっしゃるだろうとは思います。
しかし、池田先生の著作や体験談を読めば、そうではないことは一目瞭然です。
 
現実に、今苦しんでいる問題を乗り越えることは追求しますが、「他人よりお金持ちになりたい」とかそういった即物的な欲望を叶えようとする浅ましい人はあまりいないように思います。
 
「自分のことに必死になっていたが、相手を思って折伏に挑戦する中で、人の幸福を祈れる自分に変わることができた、人間革命できた。そのなかで、自身の問題も次々解決していったり、小さなことで悩んでいたんだなと俯瞰できるようになったりした」これが学会でよくあるパターンです。
 
「現世利益だけを追求している」というのは学会のごくごく狭い一面だけを見た、見当違いの批判であると言えます。

折伏に行ってきました。

折伏に行ってきました。
 
・僕の体験(いっぱいある)をがっちりお話し
 
・死後がどうなるかは実際なってみないと分からないし、生命についてとかは目に見えないから分からないけど、現実の世界でどうなるかは目に見えて分かる。現実を自由自在に変えていけることが、その宗教の正しさの証明になる。
 
・実は医学もそうで、「なんでこの薬が効くか分かんないけど、効くから使ってる」という薬はものすごく多い。逆に、理論上は効くはずだったのに効かなかったり、副作用が多くて治験が中止になった薬は膨大な数ある。それと同じで、実際効くかどうかが大事。
 
という話をしました。
 
宗教とは距離を置きたいということだったんですが、とりあえず「こういう人たちもいるんだ」というのを知るのは大事ではないかという点で一致して、年明けに会館で男子部のメンバーとミニ会合しませんかとお話ししたところ、「いいですね」と快諾していただけました。
 
相手を心から思っての対話。
「良かったな」とは思いましたが、「何か特別なことをした」という感覚はありません。
朝から夜中まで仕事をしているんですが、「これも広宣流布のため、家族のため、身の回りの人たちのため、ひいては世界平和のため」と思って取り組んでいるからなんだろうなと思いました。
 
日常がそうなっている。
そう気づけて良かったです。
今この瞬間からまた一歩一歩、精進していきたいと思います。

Soka Gakkai International(SGI)はICANのパートナー団体

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞しましたが、Soka Gakkai International(創価学会インターナショナル:SGI)は古くからICANのパートナー団体。
ノーベル賞の授賞式にも、SGIの代表者が参加したそうです。
ICAN( http://www.icanw.org/campaign/partner-organizations/ )のサイトをみると、ちゃんとInternational partnersのなかにSGIがありますね。
 
SGIのサイト( http://www.sgi.org/ )を見ると、ものすごい平和運動を展開している仏教団体、という感じ。
日本の創価学会のサイト( http://www.sokanet.jp/ )と比べると、結構味付けが違いますね。
これが今後どうなっていくんでしょうね。

第41回「SGIの日」記念提言を読みました。

第41回「SGIの日」記念提言 「万人の尊厳 平和への大道」が掲載されています。
今回の提言で強調されているテーマは「人権」「環境」「平和」と感じました。

人権という概念自体、無我を説く仏教とは相いれないなどという言説もあるそうですが、創価学会では「人間の生命は無上の宝」という部分が強調されており、人権思想との齟齬は全くありません。
 
 
 
提言の中で、2013年に、創価学会インターナショナル(SGI)がアムネスティ・インターナショナル、人権教育アソシエイツなどほかの団体とともに「人権教育2020」という市民社会ネットワークを立ち上げたことが紹介されていました。

簡単に調べて見つけられた日本語の文献は、これだけでした。残念。
INPS Japan|人権教育を推進するHRE2020

本家サイトはこちら。HRE2020 Grobal Coalition for Human Rights Education
人権教育がより円滑に進められるよう、市民社会からサポートするための組織のようです。
大変大事な取り組みだと思います。
 
 
 
「環境」「平和」についても、単に「地球を大事にしましょう」とか「戦争は良くない」とか言ってるのではなくて、より具体的に、どうしていくことで環境問題、戦争を解決の方向へ向けていくのか、そのためにSGIとしてどう取り組んでいくのか、ということが明解に書かれています。
会員もアンチの方も、必読の内容と思います。
なぜアンチの方はこんな大事なものを読んで下さらないのでしょうか。(長いからしんどいのかな……。)

私の考える正しいアンチのあり方は「池田大作はこう言ってるのに、お前ら全然やってることが違うじゃねぇか! 『徹して一人一人を大切にする』んじゃねぇのか!」です。もう、どんどん言ってやって。
 
 
 
私は「SGIの日」記念提言にこそ、池田思想の真髄が垣間見えると思っています。
仏法を単なる観念論で終わらせるのではなく、問題に即して、「日蓮仏法らしく仏法的智慧でどう世界を変革していくのか」という現代的展開の一つの模範解答がここにある
ように思います。

池田先生がご存命で、その模範解答をオンタイムで拝読することができ、人権問題・環境問題の解決に向けて、その実践の一端を担わんと努力できるということはとんでもない幸せなことだなと、この記事を書いていて気づきました。(遅い)

本当に幸せなことに、(本業ではありませんが)人権問題、環境問題の改善につながりそうな仕事に関われています。
明日からまた頑張ります。
この人生を使って、ほんのわずかでも、世界を良くしてみせます。そういう決意です。

「幸福の科学」について

最近電車の広告でよく見かけるので、ちょっと気になって調べてみました。
たまに職場に幸福の科学の宣伝がポスティングされてるんですけど、アニメすごいですね。
とりあえず声優さんがすごい豪華。
(ネットの情報を信じれば、どうもギャラがすごいいいらしいです。
声優さんたちが幸福の科学の信者さん、というわけではないらしくてちょっと安心しました。)

まぁ、ちょっと調べて分かったことは、
・教祖絶対視
・予言で不安をあおりまくって会員をマインドコントロール
という典型的なカルト教団のように見えます。

予言は外れているようです。
大川隆法くんのウソがツイに判明! マレーシア航空機事故!
Wiki|マレーシア航空370便墜落事故

参考サイト
真実を語る
混ぜるな危険! ブログ・サンポール
やや日刊カルト新聞
告発系ブログ一覧

まぁなんというか、ツッコミどころ多すぎてしんどい。
信じてらっしゃる方々はよほどのお人よしなんでしょうか……。
調べる前からうすうす気づいてたけど、時間を無駄にしてしまった気分です。
周りに幸福の科学の信者さんが出てきたらまたちゃんと調べようと思います。

「ものみの塔」という組織の欺瞞

調べ物をしていて、ふと行き当たった記事。
司法教育に関するべテルの偽善(12年前に投稿した文章)|弁護士による「エホバの証人」観察ブログ
多くの信者に大学へ行かないよう勧めておきながら、一方で弁護士の育成だけは熱心に進めているという話。
訴訟が多いから弁護士がたくさん必要、ということなのでしょうか。
大多数の信者を扱いやすい無知な状態にしておいて、いざというとき(もしかしたら対外部だけでなく、対内部の法廷闘争?)のための武器は手に入れておこう、という組織のエゴのように見えてしまいます。
ベテル奉仕者(創価学会で言うところの本部職員と言っていいと思います)になるために全てをなげうつ人が多くいる一方、実際になっている人は学歴とコネでなっている、という話も出ていて、とても切ない気持ちになります。

私には何人か創価学会の本部職員の友人がいますが、少なくとも私の知る限り、「本部職員になるためなら全てをなげうっても悔いのない『あこがれの』職業」などというものではないように思います。
(私の個人的な見解では)一種の出家であって、重い責任と覚悟を必要とするのは確かですが、「あこがれ」感は全くないです。
創価大学出身の優秀な学生、信仰心の篤い学生が本部職員になっていくイメージ。
それが完璧というわけでもないかもしれませんが、比較的望ましい組織の在り方かなと思います。

私が話をさせていたエホバの証人の方々は皆さん真面目で優しい人ばかり。
その信仰自体が悪であるとは到底思えませんし、素晴らしい部分もあるに違いありません。
創価学会でも、教えには高低浅深の差があるとしていますが、突き詰めていけばみな仏法に通ずると考えています。

それでも、ものみの塔という「組織」が大きな欺瞞を抱えているというのは間違いなさそうに見えますし、それが信者の方々を不幸にしているのであれば、糾弾されてしかるべきだろうと思います。

エホバの証人情報センター保管庫 JWIC.INFO
こちらも参考までに。