2015年6月アーカイブ

駅前で証言活動をしていたエホバの方に話を聞いてきました。
突っ込んだ質問をガンガンしちゃいましたが、丁寧に答えてくれました。感謝。
僕は統治体(エホバの証人を監督する長老団)は大嫌いですが、エホバの信者の方々は人として結構好きです。
まじめで優しい人がほとんどで、怖くないですから。
統治体は平気で信者を殺す人たちなんで、断固許しませんけどね。サタンはお前らだ。

信仰の喜び

信仰を通して、どのような喜びを得ているのかを聞いてみました。
答えは次の通り。(ちょっと長かったので趣意)

  1. 聖書に書かれている人との付き合い方を実践し、仲良く過ごせることが喜び
  2. 人との付き合い方を含め、聖書に書かれている現実に当てはめるのが喜び(多分「1」よりこっちが上)
  3. 将来神の楽園に行ける(可能性がある)希望が喜び
  4. 辛いことや悲しいことがあっても、聖書の言葉に神の慰めを感じることができる喜び

現実に祈ったことがかなう喜びはめったにないとのこと。
これは「決めて祈って動いて勝つ!」「祈りとして叶わざるはなし」とかいってガンガン現実と格闘し、克服し、そこに信仰の確信を見出す創価学会員とは決定的に違うとこですね。

信仰の喜びについても、だいぶ違うようです。
例えば「4」について。
創価学会員は辛いことや悲しいことがあって一時呆然としてしまったとしても、必ずそこに意味を見出し、「変毒為薬してみせる」と誓い、前を向くのをよしとしています。また、信仰でそのような強い自分を確立することが目的でもあったりします。だいぶ違いますね。

信仰の確信

今日お話を伺ったのは、親がもともとエホバの証人という、いわゆる二世の方でした。
聖書を読む中で、いずれ終末が訪れて神の楽園が作られるという確信を持ったそうです。
まぁ集団の中にいたらそうなるんですかね。
彼らが読む聖書は改ざんがひどいと研究者たちにフルボッコされてるらしいですけどね。
僕は仏教徒ですし超絶忙しいんで学術的なところまで突っ込んで勉強する気はないですが、統治体が信徒たちに「外の世界はサタンの影響下にあるから勉強するな」とか言ってる時点で、なんか都合悪いこと隠してるでしょ。絶対。

創価学会は現実と格闘して結果を出す中で、あるいは結果を出した人の話を聞く中で「この信仰はすごい!」と確信を持つわけで、だいぶ楽に確信が持てるという点で楽ですね。
エホバの人たちは一度も来たことがない終末を信じようとするわけですから、大変です。
こっち来た方がよほど楽なのになー、と思います。
信頼関係ができたらいつか言ってみよう。

輸血の話

新しい光が発せられたら

万が一、統治体が「輸血OKです」という「新しい光」が発せられたら、輸血しますか? と聞いたら、「それはあり得ないです」とのこと。
でも「肉は食べていいとされている。一滴の血液も肉の中に残されていないという状態にはできるわけではないから、我々は現実的なとらえ方をしている」。
「将来どの成分輸血なら受けてもいいといったことにはなるかもしれない」(趣意)とのことでした。
調べてみたところ、すでに現在でも、アルブミンや免疫グロブリンなどをOKと言っているようです。
http://cult-sos.jp/cultnews/1346/

難しい理屈こねくり回して、さっさと統治体は「輸血は良心の問題(つまりOK)」って言うべき。
あなたたちは人を殺し過ぎている。

昔の「ものみの塔」

昔の「ものみの塔」に輸血して助かった人の体験談が載っていたことがあったようだが、と話したところ、「それは知らない」とのことでだんまり。(多分動揺してた)
http://homepage2.nifty.com/watcher/cult6.htm
情報遮断がうまくいってしまっているようなので、みんなで教えてあげるべきですね。

輸血を受けたら排斥されますか?

言葉を濁されましたが、結論としては、排斥される、ということのようでした。
「仲間とはみなすことができない」とのこと。

ただ、ここを見る限りでは、最近は排斥されていないようです。
http://cult-sos.jp/cultnews/1346/
「永遠の命の見込みを失うことを恐れて、血液のいかなる成分をも受け入れない人が多い。」という一文に暗澹たる気持ちになりますね。

全時間の奉仕者について

Wikiを読むと、「バプテスマを受けて少なくとも半年を経過したエホバの証人の中には、年に840時間(70時間/月)を証言活動に費やすと神に誓約する者もいる。彼らは正規開拓者と呼ばれる。その多くは専業主婦であったりパートタイムの仕事などで平日の時間を捻出している。」とのこと。
これ、若い人がやっちゃいけないよね、やったら将来食い扶持無くなっちゃうよ(結構人生詰むよ)、と思うわけですが、その点について率直に聞きました。
「そういう選択をされる方もいますね。その方の自由だと思います。私たちが積極的にそれを推奨しているというわけではありません。」
ホントでしょうか。

若い熱心な信者にとっては楽な選択肢かもしれないなーと思うんですよね。
つらい就職活動しなくてよくて、いつもやっている「証言活動」をしていれば、周りの仲間に賞賛されるわけですから。
でも、そんな安易な選択肢を与えることで、若い人の将来の生きる糧を奪ったり、才能の芽を摘むようなことは許されないと僕は思います。

参考資料:
年金払えるなら払いましょうよ

ネット遮断

今日お話しした方は、お名前と携帯の電話番号をくれました。
お名前でググっても、見事に何も出てこない。
おそらく統治体の言うことを守って、サタンの影響下にあるインターネットには近づいておられないのでしょう。
今日も「私はネットで調べたりはあまりしないので...」とおっしゃっていました。

参考資料:
ものみの塔聖書冊子協会を脅かす「フェイスブック」

やめるのは簡単...だと?? その日最大の欺瞞

「私たちの宗教は入るのはとても難しいが、やめるのは簡単です」と言っていました。
多分、やめるときに無理に引き止めたりといったことは実際されないんだろうと思います。
「でも、やめちゃったら、信仰している家族と話ができなくなるんですよね?」と聞いたら、言葉を濁してはおられましたが、肯定されていました。
「聖書に明確に書いてあるので」と。

超やめづらいわ!!! アホか!!!

あんなまじめで善良そうな方に、そういう欺瞞を言わせる統治体が僕は憎いです。
エホバから知り合いを脱会させるときは家族単位で脱会させるつもりです。

参考資料:
エホバの証人の下半身事情 脱会した方の苦労が書かれています。

結論

エホバはカルトだが、信者は怖くない。
拉致も監禁もされない。
だから凸っても安心。
たぶん王国会館に行っても大丈夫。
派手にやると出入り禁止になっちゃうかもしれないんで、バランスは必要かもしれませんが...。
「排斥」されちゃった「元信者」の方は、(たとえ血のつながった家族でも)信者の方とあいさつをすることもできませんから、僕ら非信者が凸って優しく動執生疑(どうしゅうしょうぎ:執を動じ、疑を生ず。それまでの小さな法に執着した心を揺さぶり、より大きな価値観へ目を開かせること)を起こしていくことが大切ですね。

次回予告

・本当に高度教育を否定しているのか聞く
・創価学会の会友になったら「排斥」されちゃうのか聞く
・聖書は科学的にも正しいと言っているが、進化論はどうとらえるのか聞く


2015年の「『SGIの日』記念提言」に、
「人生はやり直せない。しかし、その歩みを他の人に『語り直す』ことで、過去の出来事に新たな意味づけを行い、『練り直す』ことができる。」
とありました。
本当にその通りだなと思います。
どんな出来事にも、「他者への貢献」という視点があれば、プラスに変えていくことができる。
 
例えば、犯罪に手を染めてしまったとしても、カルトに騙されて青春を無駄にしてしまったとしても、「他者への貢献」という視点があれば、なんらかの意味づけができる。
空き巣のプロだった人は、空き巣被害防止のプロになれるでしょう。
カルトの元信者でなければ救えない方もたくさんいるでしょう。
これは極端な例かもしれませんが、一事が万事と思います。




つい先日、少年A 神戸連続児童殺傷事件加害者の手記が発売されました。
遺族に(おそらくは出版に反対されるから)確認もせずに発売した経緯から見て、あれは「他者への貢献」という視点で書いたものではないと断じていいでしょう。
したがってあれは「意味づけ」からはほど遠いものと思います。

2002年10月12日に上智大学で行われた日本脱カルト研究会によるJDCC 第3回公開講座「カルト集団における虐待」という講座で配布されたレジュメを加筆訂正したものを読んで、ようやく謎が解けました。 エホバの証人の方々が、何故かたくなに輸血を拒むのか、という謎が。   記事を私なりに解釈して簡単にまとめると、 ・信者は教団の中枢の決めたことが絶対に正しいと盲信するように刷り込まれている ・教団の中枢の決めた教理に違背するとハルマゲドンの後に楽園に行くことができなくなる、永遠の命を手に入れることができなくなると信じさせられている ・教団の中枢が「輸血をしたら教理に違背することになる」と言っている だから輸血はできないということのようです。   聖書の言葉に背けないから、ではなく、教団中枢の「脅し」のせいで輸血ができず、死んでいかなければならないなんて...。

この記事いわく、
「仮に組織が「新しい光(教理変更の発表)が出て、輸血をしても楽園に行けるようになりました」と言えば、信者達はすぐに輸血を受け入れます。」
とのこと。

なんじゃそれ。
教団の中枢も、今更後に引けないということかもしれませんが、神の名において人をたくさん殺してきたわけで、そういう方々は「聖職者」の名に値するのか、恥を知るべきではないのか、と思います。



学生時代から、「エホバの証人の信仰者はなぜあんなに目に力がないのか、生きる喜びに満ち溢れている人を見たことがない」と思っていましたが、「もうすぐハルマゲドンだ!」という予言であおり続けられ(【参考】Yahoo知恵袋|エホバの証人は終末予言をはずしてばっかり)、常に死の恐怖にさらされていれば当然のことでしょう。
 
「世の情報は全てサタンの影響化にあるので組織の提供する情報以外必要ないとされている」というのも、信徒をバカのままに保っておきたいカルト教団のあり方そのものですね。
自分の教義が間違っていることを知っているから、それを悟られないようにしているのではないかと勘繰ってしまいたくなります。
「どんどん(他宗教の人が書いた)良書・古典を読み、俺を超えていけ! それでこそ弟子だ!」と(言外に)言っている池田先生とは正反対。


結論:「エホバの証人」の中枢は早く「新しい光」を出して、輸血を解禁すべき。あなた方は人を殺し過ぎている。
 
信者の方々へ:ここに書いてもエホバの証人の信仰者には届かないのかもしれませんが、一人でもいればと思い、書きます。
あなた方のしてきたことにはきっと意味があります。
教団を離れてもです。
無駄にはなりませんから、安心して、一刻も早く教団の中枢による呪縛から逃れてください。
今すぐ信仰を止めなくてもいいと思います。
まずは組織と距離を置きましょう。
(教団の資料以外の)勉強したいことをたくさん勉強して、社会に貢献しましょう。
あなたにしか救えない命が、きっとあると思います。
そこにあなたの生きる意味が見つかるでしょう。
それによってあなたは救われるでしょう。
あなた自身の人生を生きてください。それが私の願いです。

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