「他者への貢献」と「意味づけ」

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2015年の「『SGIの日』記念提言」に、
「人生はやり直せない。しかし、その歩みを他の人に『語り直す』ことで、過去の出来事に新たな意味づけを行い、『練り直す』ことができる。」
とありました。
本当にその通りだなと思います。
どんな出来事にも、「他者への貢献」という視点があれば、プラスに変えていくことができる。
 
例えば、犯罪に手を染めてしまったとしても、カルトに騙されて青春を無駄にしてしまったとしても、「他者への貢献」という視点があれば、なんらかの意味づけができる。
空き巣のプロだった人は、空き巣被害防止のプロになれるでしょう。
カルトの元信者でなければ救えない方もたくさんいるでしょう。
これは極端な例かもしれませんが、一事が万事と思います。




つい先日、少年A 神戸連続児童殺傷事件加害者の手記が発売されました。
遺族に(おそらくは出版に反対されるから)確認もせずに発売した経緯から見て、あれは「他者への貢献」という視点で書いたものではないと断じていいでしょう。
したがってあれは「意味づけ」からはほど遠いものと思います。

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このページは、彩雲が2015年6月14日 00:23に書いたブログ記事です。

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