創価学会批判について。

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ネットに悪口を書き込むヤツらに反応することはいかに不毛な行為なのか?
という記事を読みました。
著者のセブ山さんとしても創価学会の文脈で記事を紹介されるのは本意でないに違いませんが、なんかネット上の学会批判にも通じるものがあるような気がしました。

 ひどい学会員さんがいて、それで創価学会が嫌いになった、という話なら分かります。
学会員さんも真心で動いていたんじゃないかとは思いますが、結果非常識な行動になっていたとしたら、それは申し訳ないです。
池田先生は「常識が大事」と言われていますが、それを実践できなかったイタイ学会員さんだったんですね、本当に申し訳ありませんでした、という話。

 問題かなぁと思うのは、学会を在日韓国人の集まりであると何の根拠もなく人種差別と宗教差別をごちゃまぜにして荒唐無稽な批判らしき文言を並べ立てるもの。
僕、創価学園通ったし本部にも知り合いいるけど、在日韓国人の方、いませんよ???
個人的には、学会の中では韓国の存在感より、米国とか台湾、ブラジルの方が上なような気がします。
池田先生も韓国人ではないってちょっとググったらすぐ分かる。

 結局、ああいう人たちは真実がどうかなんて関係ないわけです。
ネット上で見かけて反論を試みたこともありますが、無視か、口汚く罵るのみで不毛でした。
文句が言いたいから文句を言う。
論理が破綻していようと関係ない。
攻撃することによって自分が優位に立ったような気がして、ちょっと気持ちいい。
そんなところかと思います。
あぁ恥ずかしい。
テレビでやってたら恥ずかしくてチャンネル変えちゃうレベル。

 ということで、ああいう論理の破綻したような批判にくみすると、イタイ人になっちゃうからやめましょうね、という話でした。
僕は不毛なので相手にしません。
すみません、忙しいので...。

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このページは、彩雲が2013年10月15日 13:58に書いたブログ記事です。

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