今日の聖教新聞の新人間革命「求道13」に、「人は、求道心を失った時、信心の向上は止まり、慢心に侵され始める。仏法者とは、永遠の求道者であらねばならない。そこに、人間革命の道があるのだ。」とありました。
これはぐっときましたね。
特に「永遠の」というところ。
自らの臨終の時にあたって、(仏法に限らず)「来世でも頑張るぜ!」と思えるかどうか。
思えたらその人の人生は勝ちですよね。
慢心にたぶらかされた人生は醜いものです。
謙虚に学び、求道を続ける人には、何もしなくても自然に周囲の人々を奮い立たせる力があるように思います。
前者が「来世も頑張るぜ!」と思えるか。
難しいのではないかと思います。
他人と比べて自分がどうか、という相対的な価値観でしか生きていないからです。
対して後者は容易に「来世も頑張るぜ!」と思えるでしょう。
その決意に他人は関係なく、絶対的な価値観で生きているでしょうから。
私は今30代後半ですが、あと50年くらい生きるとして、瑞々しい求道心を持ち続けられるかどうか。
現時点で瑞々しいかどうかは微妙かもしれませんが、まだまだだからこそ、求道心を日々磨いていきたいと思います。
そして、「永遠に」求道を続けたいと思っています。
信仰はその道を明るく照らしてくれているように思えます。
無宗教の方を馬鹿にするわけでは決してありませんが、やはり人生の規範がないと、どうしても「道」がどこにあるか分からなくなりがちで、迷ってしまうことも多いのではないでしょうか。
信仰の本当の効用の一つは、まさにこういったところにあるのではないかと思っています。
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