無謬ではないということ

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ウェブで調べ物してたら、何故かアンチ創価学会情報をガチ読みしてしまう流れに...。
まぁ以前から思っていたことではありますが、池田先生にしても、創価学会にしても、「無謬である」と思っている人(思いたい人)と、「極悪非道の悪」と決めつけたい人との終わりのない戦いに見えてしまいます。
池田先生だって人間ですから、無謬なはずないですよね。
判断を間違うことも、やらかしちゃったりすることもそりゃあるでしょう。
創価学会だって凡夫が集まって作ったものですから、完璧なわけないですし。
ダメなところがあるから、直していきましょう、っていう、それだけの話。
迷惑をおかけしてしまった方々には、本当に申し訳ありません、そう謝るしかありません。

まともな創価学会員と付き合ったことがある方なら分かると思いますが、大多数の方は真面目に自他ともの幸福を願い、祈り行動しているわけですよ。
「極悪非道の悪」なわけないです。

両極端の意見にはあまり意味がありません。
間の意見にこそ、価値があるものと思っています。

私の人生の師匠は池田先生です。
でも、仕事や学問の上での師匠というのもいます。
そちらの師匠の方々は結構盛大にやらかしちゃったりしてます。
それでも私の大切な師匠です。
師匠であるということと、無謬ではない、ということは普通に両立するものと思います。

というか皆さんの師匠は全員完璧超人なの? とかとか・・・。

池田先生は完璧な人間である、と頑なに信じすぎるのも危険と思えています。
池田先生自身もそれを否定されるでしょう。
戸田先生だって、私から言わせたら酒飲みすぎだしタバコも吸いすぎだし、(今の価値観から見たら)過激すぎますよ。
それでも私にとっては偉大なんです。

あかんとこもそらあったかもしれんけども、人の師匠を口汚く罵るのはSGI提言を読んでからにしていただきたい。(といって理解の輪を広めてみようとするテスト)

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このページは、彩雲が2015年4月 7日 23:26に書いたブログ記事です。

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