祖母の法事に行ってきました。

先日、祖母の法事がありました。
参加者は身内と、祖母と親しかった方々、そして地域の学会員さんたち。
創価学会の会館の一部屋をお借りして、勤行、唱題、焼香。
地域の学会員さんの題表の方がお話をされて、僕ら家族が一言ずつ言って。
非常に和やかで、ほのぼのした、とてもいい法事だったと思います。
僧侶がいる必要はないし、いない方が気楽でいいように思います。
釈尊は弟子たちに、自分の葬式に関わらず、修行に専念するよう言ったそうで、実際葬儀は在家の信者たちが行ったそうです。
 
もちろん、和やかな法事をしてくれる僧侶もいるのでしょうが、どうしても供養(という名の支払い)は出さなくてはなりません。
今の若い人の感覚としては、僧侶など呼ばずに、身内で行いたい人がほとんどなのではないでしょうか。
なお、創価学会の会館で法事をする際は、料金など一切ありません。
僕も学生の頃、牙城会(会館の受付、見回り、管理をする役の人々)のお手伝いをしていましたが、一切そういうお金の授受などはありませんでした。
 
法事の後、祖母と親しかった方々が会館の中を見学されていました。
学会員さんたちはその方々と笑い話をしながら、笑顔で案内されていました。
 
会館に入ったら折伏されちゃうんじゃないかとか心配される向きもあるかもしれませんが、そういうことはありませんのでご安心ください。
私たちは地域の方々に、私たちの本当の姿を知って、理解してもらいたいと思っているのです。

公明党の最大の失策、イラク戦争加担

多くの方が書かれているように、公明党がかつてイラク戦争に加担したのは事実と思います。
当時私は「野党ではないから安易に『反対』とは言えない、厳しい立場なのだろう」「政治は是々非々。政策は常に他者との妥協で決まるもの」「大量破壊兵器も恐ろしいし」などと漠然と思っていましたが、私の親しい友人は、創価学園・創価大学出身でありながら、あるいは出身だからこそ、堂々と抗議デモに参加しておりました。
今の私であれば、デモに必ず参加すると思います。
あれはあってはならない失策でした。
何百年経っても消せない汚点と思います。
 
 戦争では何も解決できないということは、以前から創価学会の中で、池田先生の指導として何度も学んできました。
今のイラク、アフガンを見れば、それが正しかったことが分かります。
何故こんなバカげた失策が起きたのか、真相はおそらく10年、20年してから分かるのでしょう。
その時を待ちたいと思います。
(アメリカからの圧力に屈しただけ、なんてことかもしれません。)

(2012/9/20修正)
この記事に対するコメントで大河さんに誤りを指摘していただきまして、この記事の内容は誤りと分かりましたので修正させていただきます。
コメントにも書かせていただきましたが、小泉元総理がイラク戦争をすぐさま指示したことに対し、当時の神崎代表が「やむを得ない」と発言したことをもって世間では「容認」ととられ、自衛隊派遣をもって「戦争賛成」ととられているということが分かりました。
そこから先はネット住民によるイメージのみの伝聞拡散と。
学会側の声が小さすぎますね。

ポーリー・トインビー女史の批判について。

 偉大な歴史学者であるアーノルド・トインビー博士と池田先生の対談について、孫娘のポーリー・トインビー女史が批判されているのを知りました。
全ての人に対面で好かれるということは、人間である以上、不可能と思います。
また、ポーリーさんの場合、創価学会に関する情報のソースがどうにも劣悪だった様子で、それが判断材料になってしまっているのが残念です。
まぁ、最初にあまりいい印象を持たれなかったため、悪意のある情報ソースを重点的に採用されてしまったのでしょうが…。
ポーリー女史も人間ですから、仕方ありません。
 
 しかし、「とりとめもなく長々とした、二人のおしゃべり」と断じているところは、さすが孫娘。
家族でなければ、そこまで言えません。(笑)
あれだけ示唆に富んだ内容の本を、「おしゃべり」って。
その辺の女子会と同列の扱いです。
すごい強気な人なんでしょうね。
 
 気になるのは、この批判に乗っかってる人たちのコメント。
多分この本、読んでない感じなんですよね。
つまり、フェアじゃない。
まぁアンチの方々に時間を割いて読め、というのが難しい話なのは重々承知なんですが、ちょっとでいいから「21世紀への対話」、読んでみていただきたいです。
学会がどうとか別にして、話として結構面白いですよ。
古本屋で買えば、先生に印税は入りませんし。
売ってるのかなぁ?

学会2世、3世の告発に思う

ネットを見ていると、学会2世、3世の方が、学会を糾弾していることがあり、心が痛みます。
理由はそのほとんどが、どう見ても親が育児をちゃんとせず、学会「活動」に逃げていたことが原因と思われるから。
(育児が大変で仕事に逃げちゃうのと同じ構図と思います。)
 
私の知り合いの元創価学会の本部職員だった方の息子さんがたは、親御さんが大好き、創価学会も大好き。
親御さんは活動に逃げず、しっかり息子さんたちを育てておられました。
信心はもちろんしっかりしていますが、活動はバランスを取りながらされていたようです。
 
反対に、創価学会の幹部の息子でちょっと問題があるような子は、親御さんがしっかり育児をしていない。
多分学会も嫌い。
そらそうですよね。
子どもから見たら、親を悪者にしたくないから、「創価学会が自分から親を奪った」って考えたくなる。
そう考えたら、「創価学会=カルト」って図式になりますよね。
無理もない。
 
池田先生・奥様はその点、時間がない中、一生懸命子どものために工夫を凝らされていたようです。
小説「人間革命」にも、そのあたりのことが書かれていました。
 
「一家和楽の信心」といいます。
学会員なら耳にたこができるほど聞いたことがあるはずです。
家族が幸せになるための信心ですから、家族の問題が起きた時は、活動をすこしお休みしてでも、がっぷり四つで取り組むべきと考えます。
ご本尊に祈ってれば、勝手に子どもがまともに育つなんてこと、あるわけありません。
そんなの信心じゃありません。
 
育児は大変な労作業です。
生命力が十分になければ、いい育児・教育などしてあげられません。
だからこその信心なんだと思います。
祈って、生命力を引き出して、子どもを大切に育てる中で、自分と子どもの成長があるわけです。
「信心根本=学会活動根本」ではありません。
逃げちゃいけません。
逃げれば後継の人材が育ちません。
かえって敵を作りかねません。
何より子どもさんがかわいそうです。
 
結論:学会員は、世間の人よりも育児を頑張るべき。そのエネルギーを、信心で得るべき。


愛する奥さんへ。
僕も育児、頑張ります。
ときどきへたるけど、許してください。w

「騒音おばさん」について

ネットサーフィンをしていたら、「騒音おばさんは創価学会員のひどい勧誘にあった被害者で、おばさんは創価学会と戦った英雄」みたいな書き込み、動画を多数見つけてしまいました。
訴えた被害者夫婦が創価学会員だという証拠はどこにもないにも関わらず、もっと言えば「ひどい勧誘を受けた」という証拠はさらにない中で、おばさんを全力で擁護している姿は残念と言うほかありません。
 
「マスコミは本当の事を言わない!」と憤る一方で、真偽不明のネット情報に飛びついてしまったのでは、情報リテラシーとしてはかなり厳しいものがあると思います。
下記ページによると、裁判は刑事裁判だったため、被告人の言い分は存分に述べられているはずとのこと。
それでも最高裁の裁判官全員一致で判決が出ているわけで、少なくとも出所不明の情報を頼って「騒音おばさん」を擁護する妥当性はかなり低いと考えるべきです。
Yahoo!知恵袋:「”騒音おばさん”は、創価学会の圧力で悪者にされた」というデマ


 ところで、もし仮にネットで書かれているように訴えた被害者夫婦が学会員で、ひどい勧誘をし、断られたからと言って嫌がらせをしたというのが事実であったとしたら、そんな人間は学会員として失格と思います。
人間性を高めるための宗教です。
熱心な学会員は、周囲の人に元気になってもらいたい、幸せになってもらいたい、との思いで折伏(勧誘)をします。
相手を思っての行動ですから、相手にむげに断られたとしても、嫌がらせをしてやろうなどとは夢にも思いません。
むしろ、「自分の言い方が未熟だったかな、相手に響かなかったのは自分に原因があるはずだ」と考えます。
そして「いつか良さを分かってくれるといいな」と思いながら、誠実に人としてお付き合いを続けるはずです。
 
結論:ネットで「被害者夫婦は熱心な学会員」とよく書かれていますが、もし本当に学会員なら、学会員としてクズ!

折伏について

 今日は(ほんのちょっと)調子が悪くて男子部の部活に行くのやめようかなとも思ったんですが、少し休んで体力が回復したので行ってきました。
本部長が折伏を決めたと部長が言ってました。
部長も折伏に挑戦中。
「折伏」というと、「人の弱みに付け込んでとんでもないものを売り込む行為」という人もいますが、結局、一番大事なところは、「それを信仰することによって、その人が精神的にも社会的にもいい状態に変われるかどうか」だと思います。
で、変われなかったら、創価学会の信仰がここまで世界的な広がりを見せることもなかったのではないかと思います。
しばらく頑張ってみて、いい方向に変われなかったら、世間体も悪いし、みんなやめちゃうと思います。
変われた実感があるからこそ、次の人にも勧める。


 幸福の科学さんとか、ものすごい創価学会を研究して真似してるなぁと思いますし、たぶんメディア戦略なんかは創価学会よりも上手くやってる部分があるんじゃないかと思いますが、それでも創価学会の広がりには遠く及ばないところを見れば、一般の方にも「何か差があるに違いない」と分かっていただけるのではないかと思います。


 当たり前ですが、折伏を決めても紹介者には創価学会から何も特典はありません。
ただ、その人のことを心から思って深く祈る中に、自身の人間としての成長(仏教的に言えば、菩薩界、仏界という、生命のいい側面の湧現)があり、それを通して出てくる強い生命力、精神力でいろいろなことを乗り越えて行けるようになるわけです。
また、そういう状態になると、時には「奇跡」と呼べるようなことも起きると。
人は何のために「祈る」のか 生命の遺伝子はその声を聴いている (祥伝社黄金文庫) 村上 和雄 (著), 棚次 正和 (著)
にもそのあたりの事が書かれていました。
ちなみに、この本は全く創価学会とは関係のない、筑波大学の名誉教授が書いた本です。
この本、まったく引用文献とかが書かれていなくて、論文を読みなれた人間から見るとその点非常に不満なわけですが、一応この本によれば、様々な研究を総合すると、どの宗教を信仰しても、他者のために祈れば等しくいい結果が導かれるということになっているそうです。
ただ、創価学会の信仰と他の宗派の祈りの効果をガチンコで比較した論文はないわけで、そこをやったら結構統計学的に有意な差が付いてしまって面白いことになるのではないか、と個人的には思っています。
かつて戸田城聖先生もそんなことをおっしゃっていたと何かで読んだことがあるような気がしますが、詳細は忘れました。
すみません。


 最近読んだ、小乗教(上座部仏教)を信仰している先生の本には、「困って頼ってきた方に教えを伝えればいい」というようなことを書かれていましたが、それじゃぁ釈尊(釈迦)がその生涯を布教のための行脚に費やし、亡くなる時もその行脚中だったことはどう説明するのですかと。
困窮した人を横目で見て、場合によっては物理的に救うことはあったとしても、自分の信仰する、最も大切な宝物を伝えないとしたら、釈尊がその生涯を通して伝えようとしたことを意図的に無視していることにはなりませんか、と。
あぁ、今日はだいぶ脱線してしまいました。
すみません。
あぁ、そうそう。
私もがっちり題目をあげていたら、クライアントの一人の事がバーンと頭の中に浮かんできまして。
私が直接その方を折伏することはないと思いますが、いつかその方が今の苦境を乗り越えてくれるように、祈りを開始しました。

恥ずべき人種・民族差別主義者たち

ネットを見ていると、池田先生のルーツが実は在日韓国人だ、という記載がよく見受けられます。
結論から言うと、これを言っている人たち、大変失礼ながら、恥ずべきレイシスト(人種・民族差別主義者)です。
「在日だから悪者」と言いたいのでしょうけど、ホント恥ずかしい。
海外でそんなこと言ったら、「最低のレイシスト」というレッテルを貼られて相手にされなくなるでしょう。
相手を自分と同じ「人間」と見ていない点で、原理主義テロリストにも通じる危険思想と言えると思います。


そもそも在日であるという話も根拠がない話のようですし(http://okwave.jp/qa/q4383162.html)、もしそうだったとしても、だからどうしたの、という話。
創価中学・高校で教育を受け、学生部で活動し、友達がたくさん幹部になった私ですが、耳にするのは、「世界」の平和のために貢献していきましょう、という話のみ。
在日だろうとなかろうと関係ないのです。
「韓国のため」などという宗教がこれだけ世界中に広がるはずもありません。


もう一つ興味深いこと。
池田先生のお兄さんは戦争で亡くなられているんですが、件の方々は、自分の国のために兄弟が戦って死んだ人に向かって、「お前なんて日本人じゃない」と声高に叫んでいるわけで、おそるべき偏狭さ。
しかも根拠なんて多分確認していないわけで、大変残念な考え方をされているなぁと思います。
日本人(武家の末裔)として、本当に恥ずかしいです。

男子部の部活に参加してきました。

少し前から、部活に参加するようになりました。
以前は仕事の都合が合わない時間帯だったので、参加していなかったんですが、最近は都合がつく曜日にいつの間にか変っていたためです。
今日は壮年部の支部長が来られていました。
この支部長、本物でした。
池田先生の御指導通りに、相手の事を祈りきって折伏に挑戦してきた方で、池田先生がよく「(本気で相手の事を思って)折伏したら、信用が残るよ」という御指導をきちんと自分のものにしていました。
「成果」のために、いやいや折伏のまねごとなんかしても信用なんか残りませんよね。
相手のために心底祈って、対話するから信用が残るわけです。
昔、学生時代に心底相手の事を祈ってから仏法対話した時、相手が理解してくれて本当にうれしかったことを思い出しました。
あの時は間違いなく菩薩界(他者のために尽くす中で、喜びを感じ、自分の「生きる力」が強くなる境涯・状態)だったんだろうなぁと思います。
今日は支部長以外にも、折伏に挑戦している人が何人も来ていました。
最近ちょっと化他行(信心していない方に仏法について語ること)をしていなかったので、本物の方に会うとなんだか恥ずかしい気がしてしまいます。
生命力が弱っているんですね。
明日からまた信心根本に仕事を頑張りたいと思います。
職場のみんなに、仏法のすごさを分かってもらいたいですしね。

支部のセミナーをしてきました。

今日(正確には昨日)、セミナーをしてきました。
それも2件。
祈りでなんで健康になるのかという話。
遺伝子を絡めて話しました。
結構は笑いはとれたんですが、ぽつぽつ仕掛けた笑いが滑って悲しかったです。
あと、ああいう言い方はよくなかったとか、なんで学会の信心じゃなきゃいけないのか、というところが弱かったなぁ、とか。
反省しきり。
ただまぁ、実践しないと反省もないわけで、やったこと自体はよかったなぁと。
がんばって成長して、もっといいセミナー、聞いた方が元気になるようなセミナーをできるようになりたいと思います。