【エホバの証人】突き抜けるとそうなるのね

またエホバの証人の人に話を聞いてきました。
もうね、駅前とかに立ってる夫婦、ほとんどが子どもいません。
今日の人もそうでした。
なんでかって聞いたら、
・今の子の腐った世の中で子どもが生まれてもかわいそう(神の楽園ができたら子どもを作る)
・子どもができたらそのために証言活動の時間を減らさなくてはいけない
・結婚するのは証言活動をしやすくするため
だそうです。
もう! だめだよそれじゃ!
とも思いますが、そういう選択も尊重されてもいいとは思います。
他人がどうこう言う話じゃない。
 
そしてこんな発言も。
・環境破壊とか、もう人間がどうこうできる範囲を超えているから、神にどうにかしてもらうしかない
(私にとっては)新しいタイプの神頼み。なんか斬新。
根拠は聖書。
いや、やれることはしようよ。(してるのかもしれないけど)
 
どんなに統治体の予言がはずれても、もういいんだそうです。
ハルマゲドンがたとえ1000年後だとしても、エホバの証人の正義が証明されればそれでいいんだという話でした。
「もう何がなんでも、自分の信じてきたものが正しいと信じたい」という心理もあるのかもしれません。
でも、「信仰の意味」を「死への準備」に限定して考えた場合、あの方はある程度それをされているのであり、また「信仰に人生を捧げきっている」という点で、立派にエホバに「南無(帰命)」されていて、その信仰の篤さは敬服に値すると思います。
心からそう思います。
 
ただ、「統治体は近々ハルマゲドンが起きると言い続けているけれども、それは間違っているかもしれない」ということを彼は明確に意識されていたわけで、私はその点を指摘すべきでした。
そう。
統治体は人間の集まりですから間違うのです。
その決定を「絶対」のように扱うのも間違っています。
統治体が決めた「排斥」も絶対であってはならないし、「絶対である」と主張するのは統治体の傲慢です。
お題目をあげていてそう思いました。
私はあの人たちが好きなので、なんとかして気付いてもらいたい。

幸せとは

心理学者のMartin Seligman(マーティン・セリグマン)さん(アメリカ心理学会の元会長)の講演の記事で面白いのがありました。
http://logmi.jp/26574?pg=1
http://logmi.jp/26721
「快楽」より、「何かに夢中になること」より、「人生に意味を感じられること」の方が、ずっと幸福を感じるように人間はできているという話。
誰かのためになにかできる、それを通して自分の人生に意味を見つけられる、というのはものすごく大切なことですよね。
日蓮大聖人の御金言にも「人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなるようなものである」とありますが、利他的な行動を起こさなければ、本当に自分の人生を幸せなものにすることはできないと。
 
私の10余年の臨床経験からも、それは如実に感じています。
70,80歳代になって幸せに生きている人は、例外なく誰かのために人生の幾分かを使って何かしています。
自分のためだけに生きている人は、本当にさみしい老後になっている。
子どもがいるとかいないとか、裕福かそうでもないかはそれほど関係しません。
それはそれは峻烈。
 
誰かのために、何かできることをする。
折伏に限らず、今後もやれることをやっていきたいと思います。

映画「ルンタ」を観てきました。

チベットでは、中国政府による非常な抑圧、殺戮、拷問が繰り返されています。
その蛮行に対し、チベットでは焼身自殺による抗議が行われているわけですが、そのバックグラウンドを丁寧に掘り下げている映画「ルンタ」を観てきました。
 
チベットの人たちは民族の言葉を奪われ、信仰を奪われようとする中で、絶望の淵に追いやられながらも、なお非暴力を貫き、相手を傷つけることを拒否し、最終的に焼身抗議の道を選んでいました。
2015年3月の時点で、141人もの方が、焼身による抗議を行っています。
平和な日本でのうのうと信仰している僕らと違い、一身を灯にかえて自由と民族と国と信仰を守ろうとしている彼ら。
それはたかだか19歳の女の子だったりするわけです。
あまりにも切ない。悲しい。
 
妙法蓮華経に南無(帰命)すると毎日唱えながら、そこまでの決意をしていたか、と自身に問いかけるとき、一種の恥ずかしさを禁じえません。
とともに、日蓮大聖人の「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とのご金言を拝するとき、チベットの方々の「他者を傷つけまい」とするその高潔な精神に、仏法者としての一つの勝利の形を見る思いがします。
 
自分に何ができるのか。
この命を燃やし、少しでもこの世界を良くしてから死に逝かん、それまでは岩にかじりついてでも生き抜いて、動き抜いてみせると決意する時、どうしていくべきなのか。
 
創価学会員たるもの、問題に直面したときはご本尊の前に端座し、その命をご本尊にぶつける思いで祈り、行動を起こすのが流儀。
彼らの苦悩を思いながら、文字通り泣きながら、「この世界を少しでも良くさせてください、自分の使命を果たさせてください」と唱題しました。
大丈夫。
「社会のために」と本気で祈った祈りで、今まで叶わなかったことはありません。
明日からまた、日々祈りを深め、決意しなおしながら進んでいきたいと思います。
さしあたっての闘い方はもう見つけました。
学園生の底力を出すときは、今だ。

エホバ対策サイトの一つ

「エホバ 聖書 違い」で検索して、エホバの証人 統一協会 対策香川ネットさんのサイトを見つけました。
かなり古そうなサイトですが、訪問者が僕で5530人目って…。
もったいないなぁ。

このサイトによると、ものみの塔は、1969年に「ギリシャ語王国行間逐語訳聖書」というのを発刊していて、これは今でも(?)エホバの証人の方にお願いして注文すれば取り寄せることができるそうです。
この聖書は比較的聖書に忠実に訳しているそうで、これと比較することで、エホバの証人の方々持っている聖書が意図的に「改ざん」されてしまっていることが分かるそうな。

その他にも、なんでエホバの証人になったらダメなのかとかを端的に書いておられます。
ちょっとエホバの証人について勉強し、中の人と話しただけの僕ですが、まぁそうだよね、という内容。

中の人をいかにスムーズに、納得してもらったうえで抜けさせるか、という点については、まだまだ研究が必要な気がします。
結局のところ人間は感情の動物ですからね、理屈で破折するだけじゃダメなんです。
関係が悪くなるような言い方は絶対にしてはいけないですし。
相手が防衛線を張っていない、明後日の方向からすとんと相手の懐に飛び込めるようになるにはどうしたらいいのか…。
相手の幸せを思う祈りから始めなければ。

イタリア共和国とイタリアSGIが宗教協約(インテーサ)を調印

学会員の間では、イタリアと創価学会が宗教協約(インテーサ)を調印したというニュースは、大変大きな話題になってます。
まずは聖教新聞社の報道。
イタリア共和国とイタリアSGIが宗教協約(インテーサ)を調印

協定宗派の認定を受けたことで、
・イタリアSGIの記念日を祝日にする
・学校で日蓮仏法の宗教教育が出来る
・公共の墓地にイタリアSGI の場所が与えられる
・そして「1000の8条項」(納税者が個人所得税の申告の際に、特定の宗派を選択することにより、申告額の0.8パーセントが当該宗派に配分される)(「イタリアにおける国家とカトリック教会」田近 肇(岡山大学)のp.79でも確認)
が認められる見込みのようです。(議会の承認はまだっぽい感じです。2015/8/3追記)
 
なお、宗教協約(インテーサ)とかいうから、その単語で調べても創価学会関連の記事しか出てきませんが、文化庁の資料(海外の宗教事情に関する調査報告書 資料編4 イタリア宗教関係法令集)その他の資料を見る限り、政教協約(ヴィッラ・マダーマ協約)と書かれていることが多いようです。
(「政教」という単語から「政教一致」を連想していちゃもん付けてくる人が多くなりそうだったから、学会側は避けたんですかね。)
 
特定の宗派を、いうなればえこひいきする内容の協約ですから、Twitterとかでは「日本なら憲法違反」とか言って文句言ってる人いますね。
ちなみにヴィッラ・マダーマ協約の前は、法律上「カトリック教がイタリア国家の唯一の宗教である」とされていた(ソースは文化庁の「海外の宗教事情に関する調査報告書(平成20年3月)」のp.149)わけで、そういう感覚の国のことを素人が自分の国の憲法でとやかく言うの、ちょっと違う気がします。
 
さてこの協約、他に認められている宗派は11あるようです。(ソース:国境の南
1.ワルドー派宗教会議(Union of Methodist and Waldensian Churches)
2.イタリア神の会(Assemblies of God in Italy)
3.キリスト教再臨派連合(セブンスデー・アドベンチスト教会のこと? Seventh-day Adventist Church)
4.イタリアユダヤ共同体連合(Union of Italian Jewish Communities)
5.イタリアキリスト教福音主義パブテスト派連合(Baptist Evangelical Christian Union of Italy)
6.イタリア福音主義ルター派教会(Lutheran Evangelical Church in Italy)
7.イタリア・南ヨーロッパ太守管区正教聖大司教区(Greek Orthodox Archdiocese of Italy)
8.末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教、The Church of Jesus Christ of Latter-day Saints)
9.イタリア使徒教会(Apostolic Church in Italy)
10.イタリア仏教徒連合(Italian Buddhist Union)
11.イタリアヒンズー教徒連合(Italian Hindu Union)
 
で、先ほどの文化庁の「海外の宗教事情に関する調査報告書(平成20年3月)」のp.150をみると、
 
イタリア政府との取極が法律で承認された宗派
1 ワルドー派
2 セブンスデー・アドベンチスト教会
3 神の集会
4 ユダヤ教連合
5 福音主義バプチスト連合
6 福音主義ルター派教会
 
イタリア政府との取極の法律による承認待ちの宗派
1 イタリア仏教徒連合
2 エホバの証人
 
イタリア政府と取極締結交渉中の宗派
1 末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)
2 イタリアの使徒教会
3 南部ヨーロッパ管区イタリアの正教会
4 イタリア・ヒンズー教徒連合
 
と書かれています。
あれ? エホバの証人消えてるよ?
BBCの2000/3/20の報道見たら「認めた」って報道してるみたいなんですけどねぇ。
最後に
「The Italian parliament still needs to ratify the agreement.」
って書いてあるんで、政府は認めたけど議会が認めなくて
「承認待ち→立ち消え or まだ承認待ち」
なんでしょうか?
wikiのノートみても、BBCの記事のことしか書いてなくて、その後どうなったかは書いてませんでした。
まだ承認待ちだとしたら、長くね?
 


 
しょうがないから英語でソース探索。
ありました。
WIKIPEDIA Eight per thousand
「In addition an agreement has been signed with the Jehovah’s Witnesses, but it has not yet received parliamentary ratification.」
やっぱまだ議会で承認してくんないみたいです。
まぁ、仕方ないかもね…。カルトだもん…。

【エホバの証人】仏教哲学の勉強はNG?

今日駅前で聞いてきた限りでは、仏教哲学の勉強は「ギリ有りかもしんない」って感じでした。(すみません、眠いんでちょっといい加減になってきてます…)
 
仏教に限らず、世の中すべてがサタンの支配下にあると捉えられているわけですが、やっぱり近い部分はあるわけで、「哲学(もしくは心理学の延長線上)」としてなら勉強してもらえる余地はありそうです。
 
他のキリスト教派の勉強をしてもらう、といったことはほぼ不可能でしょうから、これは仏法ならではのアプローチの仕方ということになりそうです。
 
晩年のトルストイ、そして敬愛するヒルティの著作あたりを勉強しつつ、エホバの証人の教理と仏法の類似している部分あたりを示して心理的な抵抗を下げ、少しずつ勉強してもらうのがいいかもしれないなぁと思った次第です。
 
理屈で攻めたって駄目ですよね。
結局は感情。
そういう意味では、エホバの証人の方々に目覚めてもらうお手伝いをする人間として、仏教徒は最適なのではと思います。
頑張ります。

組織から離れて、反対している家族は排斥される?

駅前のエホバの証人の方に「もともとエホバの証人だった家族が組織から離れ、家族がエホバの証人へ参加することに反対した場合、排斥されるのか」と聞いたところ、
「ケースバイケース」とのことでした。
 
これは結構重いですね…。
排斥されるってことは家族と話ができなくなる、ということですから。
恐ろしい…。

統治体だって間違うこと、ありますよね。

10代のエホバの証人の子に「統治体(エホバの証人の中心者たちの集まり)だって人間だよね、間違うことだってあるよね」と聞いたところ、「それはあると思います」とのこと。
ただ、神が聖書の中で「統治体には従っておきなさい」と命令されているので、従っているんです、と。
 
んー。危険。
それって組織の中心者たちが決めたことは、ほとんど神の名のもとに「絶対」であるということですよね。
それは腐敗する。
 
駅前のエホバの証人の方にも「統治体が間違うこともあると思うか」と聞いたら、やはりそれはあるだろう、との返答でした。
ただ、「王国会館の中でそういうことを普通に話せる雰囲気はあるか」と聞いたら、相当言葉は濁されましたが、ないっぽい感じでした。そりゃそうですよね…。
 
で、駅前のエホバの証人の方にはちょっと突っ込んで「教理の変更がなされるということは、それまでの教理が何らかの形で間違っていた、ということですよね。では、新しい教理が示されたときに、『この教理も間違っているかもしれない』と思うことはありますか」と聞いたら、それはないと。
 
「では、排斥された方について、統治体によるその排斥の処分の決定が正しかったか、ということについてはどうか」とお話したところ、率直に「何故彼が」と思うことはあるとのことでした。
そりゃそうでしょうと思いますが、この話が伝わったら、あの方も排斥されてしまうんでしょうか…。
よく話してくれたなぁと思いますが、大丈夫かなぁ。
組織から離れることはいいことだと思いますが、家族からつまはじきにされてしまったら申し訳ない…。
 
エホバの証人の方に、統治体に対する疑問を持ってもらう際は、排斥の決定の妥当性についてどう思うか聞くのがいいかもしれません。
もちろん、相手が心を開いてくれてからの話ですけども…。

祈りとして叶わざるなし

日蓮大聖人の御所に
「祈りとして叶わざるなし」
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」
と2つのご金言があります。
これについて、このように疑問を持つ方もいらっしゃるわけですが、私の理解では、
「祈りとして叶わざるなし」:どういった次元で「叶う」かという問題は別にして、不可能はない、100%無理ということはない
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」:ただ、どういう決意で祈り、行動するかが大事だ。結果もそれに応じて変わる
ということだと思います。
 
「そっちでなんとかしてくれ」みたいな甘えた心で願いが叶っても、人間としての成長は望めず、むしろ堕落する可能性の方が高いわけで、当たり前ですよね。
 
SOKA YOUTHの関連記事
創価教学研究室(赤鬼のブログ)
一壮年部員の方が書かれているブログですが、大変参考になりました。

創価学会とエホバの証人と祈りの実証の違い

創価学会の信仰では、「世界平和のために、広宣流布のために○○を実現させてください」と祈るとバシバシ祈りがかなっていきます。
「病気を治す」だったり、「経済苦」だったり、「仕事の悩み」だったり、「進学」だったり。
私もこのブログで書いてきたとおり、そういう経験をいくつかしてきましたし、それによって信仰の確信をつかんできました。
 
今日駅前の方に、「仏教徒の私にはそういうことがいくつかあり、それを通して人間的に成長する、ということもあるが、エホバの証人にもそういうことはあるのか」と伺ったところ、そこまでドラマチックな体験ということはないが、今までに聞いた話では、「今日食べるものがなくて困っていたが、証言活動が終わって帰ってきたら、友人から食べ物が届けられていた」とか「仕事の応募先に断られてしまったが、証言活動をしていたらもっと条件のいいところが見つかって、そこで働けることになった」といった話はある、とのこと。
まぁ正直、世界の信徒の方の体験が載っている「ものみの塔」を読んでも、微妙な体験談しかなかったりするので、まぁそういう感じですよね…。
っていうかエホバの証人の方、ギリギリの生活しすぎじゃないでしょうか。
いや、創価学会にもそういうギリギリの生活されている方、たくさんいらっしゃいますけども、なれる人は正社員、なっておきましょうよ…。