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第41回「SGIの日」記念提言を読みました。

第41回「SGIの日」記念提言 「万人の尊厳 平和への大道」が掲載されています。
今回の提言で強調されているテーマは「人権」「環境」「平和」と感じました。

人権という概念自体、無我を説く仏教とは相いれないなどという言説もあるそうですが、創価学会では「人間の生命は無上の宝」という部分が強調されており、人権思想との齟齬は全くありません。
 
 
 
提言の中で、2013年に、創価学会インターナショナル(SGI)がアムネスティ・インターナショナル、人権教育アソシエイツなどほかの団体とともに「人権教育2020」という市民社会ネットワークを立ち上げたことが紹介されていました。

簡単に調べて見つけられた日本語の文献は、これだけでした。残念。
INPS Japan|人権教育を推進するHRE2020

本家サイトはこちら。HRE2020 Grobal Coalition for Human Rights Education
人権教育がより円滑に進められるよう、市民社会からサポートするための組織のようです。
大変大事な取り組みだと思います。
 
 
 
「環境」「平和」についても、単に「地球を大事にしましょう」とか「戦争は良くない」とか言ってるのではなくて、より具体的に、どうしていくことで環境問題、戦争を解決の方向へ向けていくのか、そのためにSGIとしてどう取り組んでいくのか、ということが明解に書かれています。
会員もアンチの方も、必読の内容と思います。
なぜアンチの方はこんな大事なものを読んで下さらないのでしょうか。(長いからしんどいのかな……。)

私の考える正しいアンチのあり方は「池田大作はこう言ってるのに、お前ら全然やってることが違うじゃねぇか! 『徹して一人一人を大切にする』んじゃねぇのか!」です。もう、どんどん言ってやって。
 
 
 
私は「SGIの日」記念提言にこそ、池田思想の真髄が垣間見えると思っています。
仏法を単なる観念論で終わらせるのではなく、問題に即して、「日蓮仏法らしく仏法的智慧でどう世界を変革していくのか」という現代的展開の一つの模範解答がここにある
ように思います。

池田先生がご存命で、その模範解答をオンタイムで拝読することができ、人権問題・環境問題の解決に向けて、その実践の一端を担わんと努力できるということはとんでもない幸せなことだなと、この記事を書いていて気づきました。(遅い)

本当に幸せなことに、(本業ではありませんが)人権問題、環境問題の改善につながりそうな仕事に関われています。
明日からまた頑張ります。
この人生を使って、ほんのわずかでも、世界を良くしてみせます。そういう決意です。

職場の学会員がDQNだったときの対処法

私自身創価学会員なので、職場のDQNな創価学会員に迷惑した、という経験がありません。
ですが、なんとなくこうしたらなんとかDQNじゃなくなるんじゃないかということを書いてみたいと思います。
具体的な事例がありましたら、コメントいただければ幸いです。
最大限、方策を考えて記事にします。
 

仕事をしないで会合ばっかり行っている

 これは実は学会員にとっても永遠のテーマですね。
私自身は戸田先生の指導通り「仕事は3人前、信心は1人前」が当然と思っていますが、幹部になっちゃったりすると「これは外せない大事な会合」みたいなのがあるっぽいです。
逆に言えば、幹部になるくらい学会内で鍛えられているはずなので、エキセントリックな行動で人を困らせるような超DQN率は高くなさそうな気もします。
 
「『仕事は3人前、信心は1人前』なんじゃないの?」
と言って牽制して、
「本当に大事な会合以外は仕事を優先して!
本当にどうしようもないときはできるだけスケジュールの融通をする。そのかわり短時間で集中して仕事をこなす訓練をすること!
仕事で実証を示してみせろ!」
とでも言えば、仕事のアウトプットが早くて残業させないで済み、残業代をセーブできる優秀な部下が出来上がるかもしれません。
 
人件費を削るには、残業代をセーブするのが一番です。
従業員の健康管理にも役立ちます。
サービス残業をさせているブラック企業の方は、早く状況を改善しないと労基署に訴えられて痛い目にあいかねませんので、早めの対策をお願いします。
 

折伏される

 「業績が○○だけ上がったら10分(時間はご随意に)だけ話を聞いてやる」でいかがでしょう。
ホントに上げてきたら、少しだけ聞いてやってください。
時間が過ぎたら「約束の時間。また今度ね」でいいです。
食い下がってきたら、次の課題を出したらいいんじゃないでしょうか。
10分話を聞いてあげるだけで業績が上がる従業員の出来上がりです。すごいお得!(笑)
 
業務時間内に折伏してくるDQNがいたら、きっちり
「そういうのは非常識」
「今は業務時間内。君は会社の給料を盗んで学会活動をしようというのか」
「池田先生はそういう非常識なことをしろと指導しているの?」
「そういうのは『法を下げる』って学会員の人がブログで言ってたよ」
と言ってやってください。
ホントの話です。

聖教新聞の購読を頼まれる

これは男子部にはあまりなくて、40歳以上限定ですかねー。
2つ手が思いつきました。
 
・「贈呈」ならいいよ。→頼んできた人がお金払ってくれる方法。コストは新聞を捨てる手間だけです。できれば1面だけでもちらっと目を通してほしいですけど…。
 
・業績が上がったら1か月だけとってやる→2000円弱の出費でたぶん一生懸命頑張ってくれます。お得!
 

選挙を頼まれる

んー、「分かった! 選択肢に加えておくわ!」でいいと思います。
もちろん、できたらホントに応援していただきたいですけども。
 
「お前その仕事ぶりでよく頼めるね」とかは、相手のキャパ次第ですかね…。相手を選びます。キャパがある人材なら、すごく伸びるかもしれません。
 

行動がエキセントリック

内容にもよりますが、ひどい場合は学会内でもエキセントリックな人かもしれません。
すみません。創価学会のせいじゃないかもしれないです…。
創価学会員じゃなくてもエキセントリックな人、いますよね?
「困った人」を救うのが宗教なもんですから、エキセントリックな人、創価学会の中にも一定数います…。

映画「ルンタ」を観てきました。

チベットでは、中国政府による非常な抑圧、殺戮、拷問が繰り返されています。
その蛮行に対し、チベットでは焼身自殺による抗議が行われているわけですが、そのバックグラウンドを丁寧に掘り下げている映画「ルンタ」を観てきました。
 
チベットの人たちは民族の言葉を奪われ、信仰を奪われようとする中で、絶望の淵に追いやられながらも、なお非暴力を貫き、相手を傷つけることを拒否し、最終的に焼身抗議の道を選んでいました。
2015年3月の時点で、141人もの方が、焼身による抗議を行っています。
平和な日本でのうのうと信仰している僕らと違い、一身を灯にかえて自由と民族と国と信仰を守ろうとしている彼ら。
それはたかだか19歳の女の子だったりするわけです。
あまりにも切ない。悲しい。
 
妙法蓮華経に南無(帰命)すると毎日唱えながら、そこまでの決意をしていたか、と自身に問いかけるとき、一種の恥ずかしさを禁じえません。
とともに、日蓮大聖人の「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」とのご金言を拝するとき、チベットの方々の「他者を傷つけまい」とするその高潔な精神に、仏法者としての一つの勝利の形を見る思いがします。
 
自分に何ができるのか。
この命を燃やし、少しでもこの世界を良くしてから死に逝かん、それまでは岩にかじりついてでも生き抜いて、動き抜いてみせると決意する時、どうしていくべきなのか。
 
創価学会員たるもの、問題に直面したときはご本尊の前に端座し、その命をご本尊にぶつける思いで祈り、行動を起こすのが流儀。
彼らの苦悩を思いながら、文字通り泣きながら、「この世界を少しでも良くさせてください、自分の使命を果たさせてください」と唱題しました。
大丈夫。
「社会のために」と本気で祈った祈りで、今まで叶わなかったことはありません。
明日からまた、日々祈りを深め、決意しなおしながら進んでいきたいと思います。
さしあたっての闘い方はもう見つけました。
学園生の底力を出すときは、今だ。

「他者への貢献」と「意味づけ」


2015年の「『SGIの日』記念提言」に、
「人生はやり直せない。しかし、その歩みを他の人に『語り直す』ことで、過去の出来事に新たな意味づけを行い、『練り直す』ことができる。」
とありました。
本当にその通りだなと思います。
どんな出来事にも、「他者への貢献」という視点があれば、プラスに変えていくことができる。
 
例えば、犯罪に手を染めてしまったとしても、カルトに騙されて青春を無駄にしてしまったとしても、「他者への貢献」という視点があれば、なんらかの意味づけができる。
空き巣のプロだった人は、空き巣被害防止のプロになれるでしょう。
カルトの元信者でなければ救えない方もたくさんいるでしょう。
これは極端な例かもしれませんが、一事が万事と思います。




つい先日、少年A 神戸連続児童殺傷事件加害者の手記が発売されました。
遺族に(おそらくは出版に反対されるから)確認もせずに発売した経緯から見て、あれは「他者への貢献」という視点で書いたものではないと断じていいでしょう。
したがってあれは「意味づけ」からはほど遠いものと思います。

「エホバの証人」の信仰者に輸血ができるようになる日

2002年10月12日に上智大学で行われた日本脱カルト研究会によるJDCC 第3回公開講座「カルト集団における虐待」という講座で配布されたレジュメを加筆訂正したものを読んで、ようやく謎が解けました。
エホバの証人の方々が、何故かたくなに輸血を拒むのか、という謎が。
 
記事を私なりに解釈して簡単にまとめると、
・信者は教団の中枢の決めたことが絶対に正しいと盲信するように刷り込まれている
・教団の中枢の決めた教理に違背するとハルマゲドンの後に楽園に行くことができなくなる、永遠の命を手に入れることができなくなると信じさせられている
・教団の中枢が「輸血をしたら教理に違背することになる」と言っている
だから輸血はできないということのようです。
 
聖書の言葉に背けないから、ではなく、教団中枢の「脅し」のせいで輸血ができず、死んでいかなければならないなんて…。
この記事いわく、
「仮に組織が「新しい光(教理変更の発表)が出て、輸血をしても楽園に行けるようになりました」と言えば、信者達はすぐに輸血を受け入れます。」
とのこと。
なんじゃそれ。
教団の中枢も、今更後に引けないということかもしれませんが、神の名において人をたくさん殺してきたわけで、そういう方々は「聖職者」の名に値するのか、恥を知るべきではないのか、と思います。


学生時代から、「エホバの証人の信仰者はなぜあんなに目に力がないのか、生きる喜びに満ち溢れている人を見たことがない」と思っていましたが、「もうすぐハルマゲドンだ!」という予言であおり続けられ(【参考】Yahoo知恵袋|エホバの証人は終末予言をはずしてばっかり)、常に死の恐怖にさらされていれば当然のことでしょう。
 
「世の情報は全てサタンの影響化にあるので組織の提供する情報以外必要ないとされている」というのも、信徒をバカのままに保っておきたいカルト教団のあり方そのものですね。
自分の教義が間違っていることを知っているから、それを悟られないようにしているのではないかと勘繰ってしまいたくなります。
「どんどん(他宗教の人が書いた)良書・古典を読み、俺を超えていけ! それでこそ弟子だ!」と(言外に)言っている池田先生とは正反対。


結論:「エホバの証人」の中枢は早く「新しい光」を出して、輸血を解禁すべき。あなた方は人を殺し過ぎている。
 
信者の方々へ:ここに書いてもエホバの証人の信仰者には届かないのかもしれませんが、一人でもいればと思い、書きます。
あなた方のしてきたことにはきっと意味があります。
教団を離れてもです。
無駄にはなりませんから、安心して、一刻も早く教団の中枢による呪縛から逃れてください。
今すぐ信仰を止めなくてもいいと思います。
まずは組織と距離を置きましょう。
(教団の資料以外の)勉強したいことをたくさん勉強して、社会に貢献しましょう。
あなたにしか救えない命が、きっとあると思います。
そこにあなたの生きる意味が見つかるでしょう。
それによってあなたは救われるでしょう。
あなた自身の人生を生きてください。それが私の願いです。

入会しないで信仰する方法

 なんか、キリスト教の方が「団体には加入したくないが信仰はしたいということもある」という話をされていて、あぁ、現代はそういうこともたくさんありそうだなぁと思いました。
立場としては、ちょっとだけニュートラルな部分を残しておきたい、とか。
なんか良く分かります。
そういえば先日、学会員さんのお家に来て1時間お題目をあげたり、導師したりしてるけどまだ会員にはなりたくない、っていう方にお会いしました。
もうほとんど学会員だなぁ、と思いましたが、気持ちは分からんでもないなぁと。

 で、そういえばキリスト教では洗礼は受けてないけどミサに行く、みたいなのは比較的自由っぽい感じがして、そういうのって創価学会にはないのかなぁと思ったら、ありました。
「会友」ってやつ。
そういえばそんなのもありましたねぇ。
なんか奥さんが信心されていて、そのご家族が未入会なんだけど、理解はしてくれていて「会友」です、みたいな話はよく聞く気がします。

 でも実はこれ、創価学会のことは理解してて、何なら題目とかもあげちゃうけど、まだご本尊は頂きたくない、ちょっとまだニュートラルでいたい、って人にピッタリなんじゃないでしょうか。
しばらくそれで活動してみて、踏ん切りがついたら入会してご本尊を家にご安置する、みたいなスタイル、僕はありなんじゃないかなぁと思います。
そういうスタイルが将来的には一般的になるかも、と密かに思っています。
折伏も、いきなり入会させようとするんじゃなくて、そういう風に持っていく方がうまくいくことだってあるんじゃないでしょうか。
僕は最近折伏できてないんでエラそうなこと言えないんですけど。
(今度職場の部下に贈呈で新聞とってもらおうと思っていますが…。)
絶体絶命の悩みを抱えてる人なら、頑張って入会してもらった方がいいような気がしますが、「学会のやっていることや信仰には共感できるけど、まだそんな悩みとかないし」っていう人だったらとりあえず会友になってみて、ってイマドキの感覚からしたら自然な気がします。
だめかなぁ。

新潟県カッコイイ!!!

このまとめを読んで、新潟県カッコイイ!!! ってなりました。
大雪で孤立する山梨県に新潟県が独自に除雪車などを投入し、救助に向かったという話。
もう、文句なくカッコイイ。
で、この前書いた記事で書いた、「災害時を想定した訓練でお互いの国に出張っていって、どれだけ効率的に多くその国の人々を救えるか、みたいな勝負」って、こんな感じになるのかなーと思いました。
人を殺しあう勝負には恨みがつきものですが、人を救いあう勝負には感謝しかないんじゃないかと。
戦場に行った兵士みたいにPTSDになったりすることも、そうそうないでしょうし。
早くそんな世界にならんもんだろうか。

宗教批判を見かけました

まあ聞いてくれ。信仰心などはじめからなく、純粋に飯を食う為だけに聖職者となった人間からのアドバイスだって記事を読みました。
いろんな角度から批判はできると思いますが、根本的にはやはり人を強くする宗教か、人を弱くする宗教かって話ですね。
慰めを与えて楽な気にさせてあげる、ってのも大事かもしれませんが、それだけじゃ人間は弱くなっちゃいますよね。
「この苦難を乗り越えて、他の同じ苦労をしている人に希望を届けよう」って思ったら強くなりますよね。
後者が仏法者の「誓願の祈り」なわけですが、それを知らないのはかわいそうだな、と思いました。
僕からは以上です。

学会幹部はSGI提言、ちゃんと身で読んでるの?

 えぇっと、これはちょっと過激な発言になっちゃうかもしれないんですが、学会幹部(とりあえず支部長以上とか、創価大学出身の幹部とか、創価大学の学生部幹部とか)ってSGI提言、ちゃんと身で読んでるんですかね。
戸田先生時代(当時は世の中全体が過激だったので、当然学会もちょっと過激だったみたい)の名残を引きずらずに、池田先生の志向する創価学会・SGIのあり方について行けてますかね。
「難しいから分かんねぇや」みたいな甘えとか、本当に唾棄すべきなんですけど、そんなの微塵も持ってないって言えますかね。
つまり、「先生、先生」って口だけで言ってるだけで、先生の求めているものが分からなくなっていやしませんかね。
分かんなくても、「分かろう」としてますかね。
分かんないことがあったら、分かりそうな青年部や学生部と研鑽したりしてますかね。

 こういうこと書くと、「SGI提言がちょっと分かった気になってる鼻持ちならないインテリ」とか思う人もいるかもしれませんけどね。
池田先生も不死ではないので、いつか後継の世代が創価学会・SGIを引っ張っていかなくてはならなくなりますが、その時、池田先生の志向しているものが分からない(分かろうとしない)人間がリーダーではまずいと思うんです。
それは「創価学会・SGIの使命」が分からなくなるということだからです。
そうなったら後継の人材は育てられませんし、創価学会が衰退してしまい、広宣流布など夢のまた夢になってしまいます。

お金で勲章や名誉教授称号を買ってるとか書いちゃってる方へ。

 池田先生がお金で勲章や名誉教授称号を買ってるとか書いちゃってる方、ネット上で結構見かけますね。
ソースがないから必ず匿名ですけど。
あれ、絶対「池田先生だけを攻撃している」つもりで書いてると思うんですけど、実は授与した団体(国)のことも「お前らは金で称号を売り渡した恥知らずな団体(国)だ!」って高らかに批判してるってこと、気づいてますかね。
ソースもないのにそんなこと書いてるって、ものすごく恥ずかしいことだと思うんですけど。
ぜひ、ここに書かれている国の大使館あたりに電話かけて、「なんでお金で国家勲章を池田大作氏にあげたんですか?」って聞いて、その結果をネット上で公開して欲しいもんです。
金で売ったという確証があるならそれくらいできるでしょう。
できないんなら二度と書かないことをお勧めします。
恥ずかしいです。ホント。

 あぁ、しょっちゅう人権侵害で訴えられて負けてるような低俗週刊誌とかでそういうことをほのめかす記事が書かれてたりしますけど、よーく読んでください。
絶対断定してません。
だって授与した団体から強烈なクレーム来ますもんね。
相手が悪かったら廃刊になっちゃうリスクだってあるかも?
そんで、国家勲章のことは書かないですよね。
相手が悪いって分かってるんでしょう。
都合が悪いから、受章していることすら記事にしない。
つくづく卑劣な売文屋です。
あの方々、うまーく逃げてますから、乗せられないようにした方がいいですよ。
身のためです。