「創価学会批判に反論」カテゴリーアーカイブ

新潮社の差別的な記事

会見場を凍らせた「村田諒太」次戦相手 “創価学会愛”語り出す
村田選手の対戦相手、ブランダムラ選手についての「週刊新潮」2018年2月8日号 掲載記事。

しかしブランダムラは、

〈私は仏教に帰依しておりまして……〉

 ほう、そう来たか――とライターが膝を打った瞬間、

〈創価学会の池田大作氏が日本人であること、ここに故郷があるということで……〉

 と“学会愛”を語り出したのだ。「記者一同ドン引き。隣にいた村田は苦笑いしてました」(先のライター)

 気まずい雰囲気のまま会見は終了。なお、この発言を記事にした社は無かった。

この文章を読んで、何とも思わなかったらご自身の人権意識に注意した方がいいと思います。
相当危ないです。
その感覚では、いつ炎上問題を起こしても不思議はありません。
 
この記事の問題点は、
「『仏教』信者はOK」
「創価学会員はバカにしても差別しても問題なし」
という姿勢をかなり明確に打ち出していること。
「宗教による差別」を、堂々と公の場でしてのけているということに驚きを覚えます。

お店のオーナーの方々へ

零細企業の経営者として一言。
週刊新潮、時々お店の待合などで見かけます。
でも、こんな人権侵害雑誌を置いていたら、
「ここはこういう程度の意識のお店なんだな」
と判断されてしまいます。
それって結構な「経営リスク」ですよ。

「現世利益」批判について

現世の利益を重視するのは低い教え?

まず、「現世の利益を重視するのは低い教えだ」という批判について。
個人的には、現実に今この瞬間苦しんでいることについて、何の手も差し伸べない宗教に、どれだけの価値があるのか疑問です。
「この世の運命は変えられない」「死んだ後良くなるはずだ」としか教えない宗教は、諦観に直結し、簡単に人を無気力にしてしまいます。
そのような「人を弱くしてしまう宗教」は、社会にとっても、その人個人にとっても害悪になりかねません。

現世利益を強調するのは新興宗教だけ?

「現世利益」=「新興宗教」みたいなレッテルを貼りたがる人もいらっしゃいますが、合格祈願やら恋愛成就やら、神社なんてそういうお守り山ほど売ってるわけです。
既存仏教の寺院も、この仏像はこういうご利益があって、こっちはこうで、とか細かく分けていたりします。
神主さんも、お坊さんも、皆さん食べていくために必死に営業努力をされています。
月刊住職を読んでみてください。
涙ぐましい努力が垣間見られます。
 
ちなみに、創価学会員は自分たちを「新興宗教」と言われると相当違和感を覚えます。
日蓮大聖人の御書根本という誇りを持っているからです。

創価学会の現世利益は他力本願?

ここが神社などの現世利益と創価学会の現世利益(功徳)の考え方の一番の違うポイントです。
 
・「お守りを買う・祈ることでなにかがうまくいく」「誰かに救ってもらえる」と考えるのは「他力本願」です。
 
・「祈り、行動する中で、現実と格闘し、それを超克していく」と考えるのは「他力本願」ではありません。
 
学会は明らかに後者です。
前者のように考えて、何も行動しない学会員さんも中には当然いらっしゃいますが、学会は「自行化他」が根本。
ただ祈るだけでは何も解決しない、というのは創価学会の中では常識です。
また、現実の問題と苦闘することも、「この問題を解決することで仏法の正しさを証明してみせる」という化他行ですので、それを放棄するのは学会の中では絶対に「正しい信仰の在り方」とは考えられません。
祈り、行動する中で、自身の中の良い生命を湧現させ、闘って勝ち、自身の成長(成仏、人間革命)を目指す、それが学会の信仰です。
「他力本願」とは対極にあると考えていただいて間違いないと思います。

創価学会は現世利益だけを追求している?

そう見えてしまう学会員さんもいらっしゃるだろうとは思います。
しかし、池田先生の著作や体験談を読めば、そうではないことは一目瞭然です。
 
現実に、今苦しんでいる問題を乗り越えることは追求しますが、「他人よりお金持ちになりたい」とかそういった即物的な欲望を叶えようとする浅ましい人はあまりいないように思います。
 
「自分のことに必死になっていたが、相手を思って折伏に挑戦する中で、人の幸福を祈れる自分に変わることができた、人間革命できた。そのなかで、自身の問題も次々解決していったり、小さなことで悩んでいたんだなと俯瞰できるようになったりした」これが学会でよくあるパターンです。
 
「現世利益だけを追求している」というのは学会のごくごく狭い一面だけを見た、見当違いの批判であると言えます。

素晴らしい記事

創価学会と会社―戦後日本の都市にあらわれた「二つのムラ」―|タサヤマ|note(ノート)を拝読しました。
創価学園の関西校の卒業生が書いたもの。
1983年生まれとあるから、32才くらい。
つまり著者は私の同門の後輩なんである。私は東京校だったから知り合いである確率はほぼないが…。
 
記事は大変学術的に書かれていて、論文を読みなれていない方には難しく感じられるかもしれない。
しかし非常に理性的に書かれており、好感が持てる。
信仰体験に基づく「感情」は気持ち良く排除されていて、むしろ意地悪に感じられるくらい。
「功徳」に関しては懐疑的なんじゃないかと思える書きぶり。
 
その分、創価学会の外の人には届きやすいだろう。
内部の人は誹謗されたと感じるかもしれない。実際そういう質問もされたようだ。
 
記事を読んで、なぜ創価学会がかつてのように爆発的に会員数を伸ばすことがないのか、その理由の一端を知ることができたように思う。
 
ただ、

「つまり素直に解釈すれば<生活は貧乏なままかもしれないが、しかしその貧しさを分かち合えたり相談したりできる仲間ができたのでこれを功徳と考える>という生活態度を想像することが出来よう 。でもこれ、なんだかおかしくないだろうか。まるで財宝をもとめて冒険の旅に出て、結局お宝は見つからなかったけれど、振りかえってみればこの冒険をすることでえた仲間たちとの出会いこそが最高の財宝だった、みたいな少年ジャンプ的欺瞞を感じないだろうか。しかし彼らがその体験を持って信仰を継続している以上、誰がなんと言おうとそれが「ご利益」なのであるし、それが彼らの「信仰理由」なのである。
 
 つまり一般に考えられているような創価学会の現世利益主義は、入会の契機にはなったかもしれないが、信仰の継続理由ではなかったわけだ。地方から都会にやってきた下層民たちは、創価学会の活動をするなかでお金持ちにはならなかったかもしれないけれど、すくなくとも人間的なつながりは取り戻すことができた。」

というくだりは、やはり創価学会員としては少しだけ引っかかる。
 
もちろん記事に書いてある通り、「素直に解釈すれば」そう読めるかもしれない。
だが、私から見れば、
・経済的なことも解決されたが、人間的成長など、それを越える功徳を得た
・苦しいと思っていた生活が、そのままで苦しいと感じなくなった
のかもしれないではないか、そういう体験談も多いではないか、と思える。
私だって、親のせいで保証人と返す借金とで合計3億円の負債を背負ったが、信心で乗り越えて今は3千万くらいまで負債を減らした。
一般的な価値観では経済的なことが一番の功徳と見えるかもしれないが、私は「今の生き方を得たこと」が一番の功徳と思っている。
 
「入会した理由」の回答は複数回答可なのに、「御利益」は一つしか選べない、という設定なのもよくない。
(彼の研究ではないから、彼に瑕疵はない。)
 
しかし一方で、彼のように書いてしまった方が外部にはウケがいいのは分かる。
少なくとも、学術的には彼のように読むのが「素直」だろう。
また、「創価学会=現世利益主義」というテンプレ批判に対する答えとしては、つけ入る隙を与えていないという点で素晴らしい。
 
記事に書かれている通り、学会がムラを作ったというのは本当だと思う。
また活動の中で、いい面も悪い面も含めて、ムラ的メンタリティが残っているなぁと感じる時もある。
 
彼は安保法制にも反対であるようだ。
(かく言う私も立憲主義に反する言説には反対である。)
いろいろな意見が出てこないような組織は硬直化し、必ず滅びる。
彼にはもっともっと頑張っていただきたい。
組織は人が作っているものである以上、完璧であることなどあり得ない。
常に刷新されていかなければ、淘汰されてしまう。
 
このような記事が、創価学会内部的にはエリートとされる学園生によって書かれていることに注目していただきたい。
「広く学び、自分の頭で考える」ことを教育されてきたからこそ、このような記事が書かれている。
創価学会を洗脳集団のように言う方をたまに見かけるが、それは現状を正しく認識していない妄言であると断じることができる。

創価学会とエホバの証人の違い

創価学会とエホバの証人、どこが違うのかを一つ一つ、思いつくままに書いていきたいと思います。
エホバの証人の方々10人くらいとガチで話してから書いてますんで、多分エホバの証人の方々からみても、ある程度納得いく内容になるんじゃないかと思っています。

【カルト性】

創価学会

正直に申し上げて、学会員にもイタイ人は結構な数います。
800万世帯とかいれば、そりゃぁいます。
で、「創価 カルト」とかで検索して出てくるのは、このイタイ人たちのエピソードばかり。
私などが読むと、「これはひどい。なんでもっと人間的にふるまえなかったのか。先生の指導ちゃんと読んでんのか。土下座してこの方(被害者)に謝れ! 池田先生の顔に泥を塗りやがって! 許せん!」と怒りに震えることもあります。
 
また、私自身、残念だなと思う幹部も割と身近にいたりします。
「慈悲」とか口では言ってるけどこの人全然わかってねーなとか、こいつ保身だけじゃねーかとか、こいつ自分の理解を他人に押し付けようとしてるだけの自己満オヤジじゃねぇかとか、先生の「学会員は常識豊かでなければならない」って指導お前どう読んでんの? とか。
もうほんと、そりゃこんだけ人数いればいますよ。
 
でもそれって、「中心者がおかしい」ということとは違うわけです。
創価学会の池田大作名誉会長には
 
・従藍而青(じゅうらんにしょう)の話を通し、弟子に自分を超えろと言い続けておられる(過去記事参照)
・宗教に係わらず名著をたくさん読み、勉学に励み、自分の頭で考え、行動しろと指導されている
・社会の繁栄を築く人材になれと指導されている
他宗教の方と積極的に対談し、多くの対談集も出版されている
 
と、多くの点で一般的なカルト集団の中心者たちとは全く正反対の特徴をみることができます。
 
学会の組織にしても、カルト教団のような細かい生活上の規定などは一切ありません。
拝みさえしなければ、神輿が出るようなお祭りにも参加していいことになっていますし、他宗教の冠婚葬祭にも参加できます。
クリスマスプレゼントを子どもにあげている家も多いでしょう。
そういうところはかなりゆるいです。
 

エホバの証人

さて、「エホバ カルト」で検索すると、圧倒的に統治体(エホバの証人、ものみの塔の中心メンバーたち)がヤバい、という情報が多いわけです。
もちろん、末端の信者の方々の行動が怖かった、というエピソードもあるにはありますが、私などから見ると、「その信者の方々もある意味で被害者だな」と思える事例が多いのです。
 
エホバの証人のカルト性を象徴する特徴は
・もうすぐハルマゲドンが来る、と終末感・不安感を煽って信仰に励ませる
・統治体も人間だから間違うこともある、としながらも、絶対服従を強いる(従わなければ「排斥」)
・「排斥」されれば、コミュニティの人だけでなく、家族とも話ができなくなるという非人間的な制度
・コミュニティの外はサタンの支配下にあるとして、あまり接するな、と教え、情報統制を敷く
・特にエホバの証人をやめた人のブログなどは、絶対に見てはいけないと厳しく言われている
・大学などの高等教育の非推奨(自分の頭で考えると組織を抜けてしまうからと言われている)
・組織から離れる時間・期間を作らせないため、就職を推奨しない
・必然的に貧困状態となるが、何かあればすぐに社会のセーフティネットに頼ることになるため、社会にとって負担になる
・仕事を通して社会に貢献しようという息吹はほとんどない
・他宗教の冠婚葬祭には参加できない
・クリスマスも楽しめない
といったところでしょうか。
 
一言で言えば、エキセントリックな末端(アホ幹部含む)が問題になるのが創価学会、中心がカルトそのもののエホバの証人、と言えると思います。
 

【困難に直面した時】

創価学会

信心強盛な創価学会の会員は困難に直面した時、「よっしゃこっからだ! 必ず変毒為薬してみせる! 同じ苦しみを味わっている人たちの希望になってみせる! 打ち勝つ姿を持って仏法の凄さを証明してやる!」とむしろ奮い立ちます。
もちろん人間ですから弱くなる時もありますけどね。
でもまた、日蓮大聖人の御書や池田先生の指導を読んで、南無妙法蓮華経と唱える中で力を得、強くなって立ち向かっていきます。
その中でなんらかの形で結果を出し、人間としても成長していきます。
私の理解では、それが「人間革命」ということです。
 
・参考:創価学会公式サイト|変毒為薬
 

エホバの証人

エホバの証人は、困難に直面すると、全てを神に任せ、慰めを得るために聖書を読みます。
地上のパラダイスにはそのような困難はないのだから、と。
(たぶん)挑戦はしません。苦闘もしません。
 
・参考:ものみの塔オンライン・ライブラリー|エホバの力から慰めを得る
 
私としては、大変歯がゆい!
一緒に頑張ろうぜ! 未来は自分の手で変えられるよ!
 
一言で言えば、現実の変革と人間的成長を目指すのが創価学会、現状に甘んじて慰めを求めるのがエホバの証人、と言えると思います。

祈りとして叶わざるなし

日蓮大聖人の御所に
「祈りとして叶わざるなし」
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」
と2つのご金言があります。
これについて、このように疑問を持つ方もいらっしゃるわけですが、私の理解では、
「祈りとして叶わざるなし」:どういった次元で「叶う」かという問題は別にして、不可能はない、100%無理ということはない
「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」:ただ、どういう決意で祈り、行動するかが大事だ。結果もそれに応じて変わる
ということだと思います。
 
「そっちでなんとかしてくれ」みたいな甘えた心で願いが叶っても、人間としての成長は望めず、むしろ堕落する可能性の方が高いわけで、当たり前ですよね。
 
SOKA YOUTHの関連記事
創価教学研究室(赤鬼のブログ)
一壮年部員の方が書かれているブログですが、大変参考になりました。

池田大作本仏論

創価学会員って池田先生を拝んでんじゃないないの?的な勘違いが結構されているというのを知って大変びっくりした今日この頃。
Wikipediaで、「池田大作本仏論」というのをかつて唱えた幹部たちがいたというのを知りました。
それが、反逆者として創価学会員には超有名な、あの福島源次郎氏と山崎正友氏。
 
Wikiの記述を信じると、どうもそれのせいで「一部信者が暴走、言論出版妨害事件や宮本顕治宅盗聴事件などの事件を起こし社会問題化すると同時に、宗門である日蓮正宗との軋轢を招いた。」とのこと。
池田先生はそれを受けて、「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」と聖教新聞上に書かれたとのことですが、まぁ本当にひどい話。
 
市丸さんという方が福島についての記事をブログに掲載されていました。
「副をはずせば」
福島源次郎が池田先生の会長勇退の直接の引き金を引いていたという。
調べてみたら結構有名な話みたいですね。
 
その後福島氏は創価学会を脱会してマスコミに諫言の書的なものを載せたりしていた様子ですが…。
創価学会に迷惑をかけ、世間に勘違いされる因をまき散らし、その後反逆し、恩を仇で返した上に聖人ぶって(私から見るとウソ・誇張に過ぎる内容の)諫言とか、ちょっと理解できません。
もしかしたら演技性パーソナリティ障害だったのかも?
診断はともかく、そういう人たちのせいで勘違いされている面もあるんだなという点は、皆さんに知ってもらえたらなと思います。
「亡くなられた方を悪く言うな」という方もおられるかと思いますが、今も世間から勘違いされるという実害が出ていることを考えると、書かざるを得ません…。
まぁ、ぶっちゃけ「死んだらそれまでの悪行はすべてチャラ」という発想にもちょっと同意できないんですけども。
じゃぁヒトラーもいいんですかと。
ヒトラーがだめなら、どこからがダメな境界線なんですかと。
その境界線の根拠は何ですか、とかいいだすと、「だから創価学会のやつは」とかいわれちゃうんでしょうか。
大丈夫です、どっちかというと学会員も「死んだらチャラ」派が多いような気がします。
私が面倒なやつなだけです。(苦笑)
 
全ての人に仏性はあると思っていますが、亡くなっても悪行は悪行と個人的には思います。
ダメですか。

無謬ではないということ

ウェブで調べ物してたら、何故かアンチ創価学会情報をガチ読みしてしまう流れに…。
まぁ以前から思っていたことではありますが、池田先生にしても、創価学会にしても、「無謬である」と思っている人(思いたい人)と、「極悪非道の悪」と決めつけたい人との終わりのない戦いに見えてしまいます。
 
池田先生だって人間ですから、無謬なはずないですよね。
判断を間違うことも、やらかしちゃったりすることもそりゃあるでしょう。
創価学会だって凡夫が集まって作ったものですから、完璧なわけないですし。
ダメなところがあるから、直していきましょう、っていう、それだけの話。
迷惑をおかけしてしまった方々には、本当に申し訳ありません、そう謝るしかありません。

 
まともな創価学会員と付き合ったことがある方なら分かると思いますが、大多数の方は真面目に自他ともの幸福を願い、祈り行動しているわけですよ。
「極悪非道の悪」なわけないです。
両極端の意見にはあまり意味がありません。
間の意見にこそ、価値があるものと思っています。
 
私の人生の師匠は池田先生です。
でも、仕事や学問の上での師匠というのもいます。
そちらの師匠の方々は結構盛大にやらかしちゃったりしてます。
それでも私の大切な師匠です。
師匠であるということと、無謬ではない、ということは普通に両立するものと思います。
 
というか皆さんの師匠は全員完璧超人なの? とかとか・・・。
 
池田先生は完璧な人間である、と頑なに信じすぎるのも危険と思えています。
池田先生自身もそれを否定されるでしょう。
戸田先生だって、私から言わせたら酒飲みすぎだしタバコも吸いすぎだし、(今の価値観から見たら)過激すぎますよ。
それでも私にとっては偉大なんです。
 
あかんとこもそらあったかもしれんけども、人の師匠を口汚く罵るのはSGI提言を読んでからにしていただきたい。(といって理解の輪を広めてみようとするテスト)

「師弟不二」にいちゃもん

アンチ創価学会のサイトを見ていると
「仏教史の中で、師弟不二などという言葉は出てきません。」
といって批判しているところがちらほら見られます。
でもこれ、異体同心のことを言っているだけですよね。
 
池田先生も「生死一大事血脈抄講義」の中で、「同心」とは「広宣流布の大願」「同志を尊敬する心」「師弟不二の信心」である、と示されたそうです。
異体同心を「師弟」という側面から分かりやすく表現したのが「師弟不二」という言葉であるというだけ。
「分かりやすいように表現したら虚妄」とか、ちょっと極端ですよね。
 
まぁ、なんでもいちゃもんつけられそうなところには全部つけていきたい、ということなのだろうと思います。お疲れ様です。

ひどい記事。

創価学会員の方が選挙で偽票を書いたとネット上で告白!! 裏社会の滅亡はさらに現実的に。
いやー、ひどい記事ですね。
タイトルだけで創価学会が選挙違反をしているというイメージを植え付けてやろうという意図なのでしょうか。
 
そもそも「偽の票」を書くとはどういうことを言っているのでしょうか。
候補者の名前が書けるか確認するということはあるのかもしれませんが、投票所以外で票に名前を書くなどということが可能だと思ってるんですかね?
大変失礼ながら、こんな記事の紹介をツイートしちゃうのはちょっと恥ずかしいと思います…。
批判するのは自由ですが、どうせ批判するならきちんと内容がある批判をしていただきたいものですね。