創価中学・高校で習ったこと。

 私が創価中学・高校に通っているとき、しょっちゅう言われたことであり、校歌にも歌われていたことがあります。
それが、「何のため」というフレーズです。
勉強するのも、情熱を燃やすのも、すべて一流の人材になって、社会に貢献するためである、と教わりました。
池田先生も学校にいらして、何度もそうスピーチしておられました。
僕が池田先生の口から信心の話を聞いたのは、覚えている限り、創価大学で「大変だったら勤行はいいから、しっかりお題目をあげなさい」とおっしゃっていた時のみと思います。
(それも、スピーチが終わった後、懇談的にお話をされているときでした。)
広宣流布(広く学会の信仰を教え広めること)が目的だとは一度も言われたことがありません。
学校に仏間はありましたが、ごくたまに使用されるだけで、キリスト教系の学校のように「祈りの時間」などは一切ありませんでした。
そのかわり、なぜ勉学に励み、本を読むのか、を思索させられたのです。

 池田先生は常に「広く、たくさんの本を読みなさい。読むなら一流の本を読みなさい。勉強しなさい。」といつも言っておられました。
そしてスピーチの中で紹介される本は、いわゆる海外の古典文学ばかりでした。
日蓮大聖人の御書はおろか、仏教徒の書いた本すらなかったように思います。
そして、ナポレオンやベートーベン、ソクラテス、プラトン、チャップリン、アベベなどの生涯を通して、いかに人生を豊かに生きるか、というお話をされていました。
「勉強するな」と言って、自分に都合のいい人間を作ろうとした独裁者とはまったく違います。

 創価学会員さんのなかにも、学園(創価中学・高校)を「学会のことすべてを是認するイエスマン、ロボットを量産する工場」かなにかと勘違いされている方がいらっしゃって辟易したりしますが、学園は学会という組織のためにあるのではありません。
建学の精神から言っても、学園は学会のためではなく、社会のためにあります。
もっと言えば、学会自体も、社会のためにあるのだと思います。
私の学園時代の友人の一人は、かつて公明党が自衛隊の海外派遣を支持した時、デモをしました。
私はその友人を誇りに思います。
自分の頭で考え、自分で行動したからです。
いろいろな考えの人間がいて、その考え方が尊重されるということこそ、その組織が健全であることの証左です。
「根本の信仰」が同一である限り、それは、「団結」と相反するどころか、本来「団結」の必須条件のはずです。
自分(もしくは組織の大多数)と違う考え方の人間を排除するような組織は硬直化し、すぐに崩壊します。
そのことをゆめゆめ忘れてはいけないと思います。

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